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豪雨災害の後、佐用町が増設した河川水位の監視システム=兵庫県佐用町
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豪雨災害の後、佐用町が増設した河川水位の監視システム=兵庫県佐用町

■「まだ大丈夫」が一番怖い

 豪雨がたたきつける町役場の1階では、あちこちの電話の呼び出し音が絶えず鳴り響いていた。

 2009年8月9日午後9時前。「土のうを積んでくれ」「谷の水が逆流してる」。対応に追われた兵庫県佐用町役場住民課(当時)の牧信幸さん(46)は走り書きの紙を別の職員に手渡し、すぐに次の電話を取る。

 「救助情報を優先!」。幹部の大声に焦りがにじむ。どこでどんな被害が起きているのか、判然としない。なすすべもないまま、避難勧告の発令直後に1階が浸水。停電で電話がぱたりとやんだ。

 直前の1時間雨量は観測史上最大の89ミリ。当時総務課長だった坪内頼男副町長は、車がごろごろと流される駐車場を、窓越しにぼうぜんと見つめた。

 「短時間で状況が一変した。断片的に入ってくる情報を整理できなかった」

   ◇

 同町内で死者18人、行方不明者2人に及んだ災禍。情報の収集と発信で役場が機能不全に陥っていた一方で、氾濫した佐用川の濁流と流木に襲われた同町久崎地区では、最も危険な時間帯までに、川沿いの住民ら約60人が小学校に避難を済ませていた。

 当時の自治会長の三宅賢三さん(76)はあの日、雨が小康状態の午後6時ごろに自治会の井堰(いせき)係から電話を受け、近くの佐用川に走った。濁流にまぎれた流木に気づき、役員と協議。自主的に各戸に避難を呼び掛け、同7時台には一部で避難を始めている。

 同地区は全177戸中9割が浸水、大半が全半壊したが、犠牲者はいなかった。「運が良かっただけ、ではなかったと思いたい」と三宅さんは振り返る。

 水害を機に、同町は1カ所だけだった河川監視カメラを14カ所に増設し、川沿いの住民から水位を聞き取る「災害モニター」制度を導入。緊急時にケーブルテレビの映像を自動で河川カメラに切り替えるなど、周知の手段も改善させた。

 だが、災害検証委員会の委員長を務めた兵庫県立大大学院の室崎益輝・減災復興政策研究科長は「行政の情報発信はある程度広域になってしまうが、最後に命を守るのは身近な局地情報。久崎のようにコミュニティーが機能しなければ得られない」と警鐘を鳴らす。

 水害直後、全国から視察が相次いだ久崎地区だが、町内に大雨特別警報が出た昨年7月の西日本豪雨では、避難者が10年前から半減していた。三宅さんは「『前は大丈夫だった』『まだ大丈夫』と考えだすのが一番怖い」と懸念する。

 「10年で前に進むばかりじゃない。勝手にいろんな情報が入る半面、どんどん受け身になっていないか」

 梅雨明けの青空を仰ぎ、つぶやいた。(井上太郎)

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