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会場に並ぶ、梅原龍三郎の「パリスの審判」(1978年・個人蔵)=右端、あべのハルカス美術館
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会場に並ぶ、梅原龍三郎の「パリスの審判」(1978年・個人蔵)=右端、あべのハルカス美術館

 昭和を代表する洋画家梅原龍三郎(1888~1986年)と、彼が師匠と仰いだフランス印象派の巨匠オーギュスト・ルノワール(1841~1919年)。師弟の交流にスポットを当てた企画展「拝啓 ルノワール先生 梅原龍三郎が出会った西洋美術」が、大阪市阿倍野区のあべのハルカス美術館で開かれている。両者の絵画や手紙などを中心に、計約80点が並ぶ。(堀井正純)

 2人の出会いは1909年。前年、20歳で渡仏した画学生の梅原は、南仏にあるルノワールのアトリエを訪問、教えを請うた。以後交流を重ね、師の助言でイタリアなど欧州各地へ制作旅行へも出た。「君は色彩を持つ」。若き梅原の絵へ、老巨匠はそう賛辞を送ったという。

 梅原は帰国後、師への思いを「ルノワル先生」と題した文章などで発表。わが国でのルノワール受容へも影響を与えた。19年、師の訃報に接すると、自宅まで売り払って渡航費を捻出、弔問した。この再渡仏が、帰国後、長いスランプに陥った梅原を立ち直らせたというから面白い。

 昭和初期には、梅原は安井曽太郎とともに洋画壇の中心的存在となり、「梅原・安井時代」を築く。その画風には、ルノワールだけでなく、フォービスム(野獣派)の大胆な色彩や日本の大和絵、琳派や南画の影響もうかがえ、燃えるような豊かな色彩や奔放な筆致、造形が魅力となっている。

 見比べて興味深いのは、師弟それぞれの「パリスの審判」だ。ギリシャ神話が題材で、晩年、数多くの裸婦像を制作したルノワールの代表作の一つ。梅原は師の「パリスの審判」のうち、日本にもたらされた1枚に刺激を受け、78年、90歳のときに模写した。

 模写とはいえ、絵は全く異なる印象。柔らかで優美なルノワールのタッチに比べ、梅原の絵は、太い輪郭線など、豪放大胆な素朴さ、力強さにあふれ、独自の画境に達している。南画的な伸びやかさ、自由闊達(かったつ)さも漂う。

 だが、「生の喜び」に満ちている、という点で、両者の絵は共通する。「描く喜び」。梅原が師から学んだのはまさにその精神だったのだろう。ルノワールへの追悼文で、梅原は師について、こう記した。「生きて居る喜びが見る喜びで、見る喜びが直(じか)に画であった」と。

 26日まで。残り会期中無休。一般1400円。同館TEL06・4399・9050

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