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落語家への決意を報じた新聞記事
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落語家への決意を報じた新聞記事
郵便局員時代の桂米朝さん(後列中央、小澤紘司さん提供)
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郵便局員時代の桂米朝さん(後列中央、小澤紘司さん提供)

 落語家と郵便局員の二重生活にピリオドを打とうとしている-。人間国宝の落語家、故桂米朝さん=兵庫県姫路市出身=が26歳の時、落語一筋に打ち込む決心を報じた新聞記事が残っている。掲載直後、米朝さんは勤めていた郵便局を辞め、二足のわらじに終止符を打った。兵庫県立歴史博物館(同市本町)で開催中の特別展で展示されており、専門家は「記事が米朝さんの背中を押したのでは」とする。(宮本万里子)

 記事は1952(昭和27)年4月16日の神戸新聞西播版に掲載された。「落語家だった公務員 舞台に還(かえ)る」の見出しが目を引く。

 当時、米朝さんは26歳。姫路市内の神社の宮司だった父親を12歳で亡くし、母親を安心させるため広畑郵便局に勤めていた。傍らで四代目桂米団治さんに弟子入りし、職場に内緒で「桂米朝」として高座に上がっていた。

 米朝さんと親交が深く、膨大な遺品の整理に携わった上方落語研究家の小澤(おざわ)紘司さん(72)=同市=は「母を心配させまいという思いと、落語に専念したい気持ちとの葛藤を抱えていた」とみる。

 51年、米団治さんが死去。時を同じくしてラジオの民間放送が始まった。「落語界の将来に暗雲が漂う一方、芸人にとって活動の舞台が広がる追い風が吹いていた。決断するなら今だと思ったのでは」と小澤さんは言う。

 「私が落語の世界から足を引くことは、もう許されないところまできている」。記事の談話には米朝さんの強い決意がにじむ。

 郵便局の元同僚笹沼正さん(91)=同市=は「新聞で落語家だと知り驚いた。よく遅刻していたが、忙しかったからだと合点がいった」と振り返る。

 米朝さんの死後、記事の存在を知ったという小澤さん。「新聞に載れば公務員との兼業は続けられない。退路を断つ覚悟だったはずだ」と語った。

 特別展「人間国宝・桂米朝とその時代」(神戸新聞社など後援)は20日まで。県立歴史博物館TEL079・288・9011

■神戸新聞西播版要約■

 寄席にラジオに活躍する一新人落語師が、2年前から芸能人と郵便局員という公務員との器用な二重生活を続けてきたが、ピリオドを打とうとしている。

 中川清氏は姫路の広畑郵便局に勤める一方で「桂米朝」の看板で劇場に出演。郵便局では誰もが「そんな隠し芸を持っていたとは」と語る。彼はこう弁明する。

 「父が亡くなり、母親の『お前も落語などに凝らず、堅気の商売に就いておくれ』という願いから郵便局に勤めるようになった」

 しかし、どうして落語への執着が断ち切れようか。一流の落語師桂米団治にもかわいがられ、落語新人会のリーダー格にもなった。

 中川氏は「落語は大好きだ。母の気持ちを思うとたまらない。だが、私が落語の世界から足を引くことは、もう許されないところまできている。郵便局の方は手を引き、芸能一本で生きていきたいと思っている」。

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