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アカトンボの柄を背に踊る「三鷹赤とんぼ牟礼高山連」=JR三鷹駅前(東京都三鷹市)
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アカトンボの柄を背に踊る「三鷹赤とんぼ牟礼高山連」=JR三鷹駅前(東京都三鷹市)
商店街に立つ歌碑。少女の手にはアカトンボが=東京都三鷹市、JR三鷹駅前
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商店街に立つ歌碑。少女の手にはアカトンボが=東京都三鷹市、JR三鷹駅前

 近代日本を代表する詩人・作詞家で、兵庫県たつの市出身の三木露風。あまりにも有名な「赤とんぼ」は1921年の発表後、27年に童謡となり、文化庁が選ぶ「日本の歌百選」に入る。その露風が縁で、赤とんぼの里になった街がある。東京都三鷹市だ。

 JR三鷹駅前の夏は「三鷹阿波踊り」でにぎわう。今年で50周年を迎えた熱狂の輪の中に、アカトンボの衣装をまとい、はね、舞う一団があった。参加約30連の一つ「三鷹赤とんぼ牟礼(むれ)高山連(たかやまれん)」のメンバーだ。

 連は1997年、三鷹市牟礼にある市立高山小学校の児童や保護者らが結成した。衣装は当初からアカトンボ。20年間連長を務めてきた横幕直和さん(69)は「なんで『赤とんぼ』なのかって。子どもたちには説明できるようにしておけって言いきかせてきたんだよ」と誇らしげに話す。

 「赤とんぼ」の詩に、山田耕筰が曲をつけたのは27年。歌い継がれて今年で90年になる。露風が28年に転居し、75歳で亡くなるまでの40年近くを過ごしたのが、ここ牟礼。高山小学校は59年の創立当初は校歌がなく、63年、近くに住んでいた露風に校歌の作詞を依頼した。露風は実際に校内を歩き、詞を書いたという。

 近いところの丘にある/けやきの緑その色が/したたるばかりわれらには

 小学校周辺は当時まだ「牟礼田んぼ」と称された田園地帯。自然豊かな情景が鮮やかにうたわれる。

 64年3月、完成した校歌の発表会に出席した露風に、在校生から「僕たちは毎日大きな声でこの牟礼の山に響けとばかりに歌い続けています」と感謝の言葉が贈られた。約9カ月後、露風は交通事故で急逝。葬儀では児童が「赤とんぼ」を歌って別れを告げた。当時の卒業生にとって「赤とんぼ」は「第2校歌」のような存在だったという。

 図書室の一角に設けられた顕彰コーナーには、露風直筆の校歌の書が展示されていた。柳瀬泰校長(58)は「すごい方に校歌を作っていただいたんだなって、大人になってしみじみ思う卒業生もいるようです」。

 三鷹市内には、ほかにも露風が眠る墓、「赤とんぼ」と名付けられた店などが点在する。JR三鷹駅前の商店街にある「赤とんぼ」の歌碑は77年、商店主らが建てた。その前でかばん店を営む広瀬充弘さん(52)は「商店街を挙げて大事にしないとね」。

 午後5時、商店街の防災無線から聞こえてきたのは、どこか切ないあのメロディー。アカトンボが群れ飛ぶ、詩人のふるさとの空を思い出した。(大盛周平)

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