「手話を使う家庭はうちだけ?」 耳聞こえぬ親から生まれた健聴者「コーダ」の悩みや孤独とは

2022/09/19 18:41

「コーダやろう者も十人十色。筆談の不得意な人もいる。いろいろな方法で接してほしい」と話す安田幸子さん=神戸市中央区

 耳の聞こえない親から生まれ、自身は聞こえる子どもを意味する「CODA(コーダ)」という言葉がある。今年の米アカデミー賞で「コーダ あいのうた」が作品賞などを受賞したことで、日本でも認知が広がりつつある。日本人監督のドキュメンタリー映画「私だけ聴こえる」も24日から神戸市内で公開される。幼い頃から親の通訳代わりになり、音のない世界と聞こえる世界、親と社会の間に立つことを余儀なくされることの多いコーダ。当事者の葛藤や思いを、同市に住む2人に聞いた。(鈴木久仁子) 関連ニュース 義手で奏でる美しい音色は国内外で反響 切ない思いを伝えたい!映画「夏の光、夏の音」たとえ目が見えなくても耳が聞こえなくても あのとき、生き残った意味 尼崎JR脱線事故


■幼少期から親の通訳役
 コーダという言葉は1980年代、米国で「Children Of Deaf Adults」の頭文字を取ってできた。
 手話通訳士の安田幸子さん(50)=神戸市長田区=は、ろう者の両親に育てられた。兄も聞こえるが、手話歴は物心がついた頃にさかのぼる。「親に連れられて通った手話サークルは居心地がよく、安心な場所だった」が、次第にコーダならではの悩みも生じた。
 幼少期から親の“耳”や“口”となり手話通訳をしていた安田さん。駅窓口での身体障害者割引の手続きに同行した際は、用語や大人の言い回しが分からず「子どもには限界だった」。また「小学生の時、職人だった父の上司に『お給料を上げてください』と電話をかけさせられたこともあった」と話す。まだ携帯電話のない時代。「『ろう者の友達に急用ができた』と不意に電車で出かける母にもよく付き合った」という。
 思春期に進路を相談できなかったことも、今なら「仕方ないこと」と分かるが、当時は「聞こえる親なら情報を集めて考えてくれたかも」との思いも抱いた。だが自身が大人になるにつれ、「忍耐力のある父、社交的な母」に尊敬の念を持つようになったという。同時に「家族が周囲に支えられていた」と振り返り、「ろう者は聞こえないからと壁をつくらず、積極的に話しかけてほしい」と望む。

■「ろう者ら孤立せぬ社会に」
 同じく手話通訳士の尾内いづみさん(46)=同市灘区=は三つ離れた弟も聴覚障害があり、家族4人で聞こえるのは自分だけで、小学校に入り「手話(を使う家庭)はうちだけ?」と驚いたという。真面目な父と天真らんまんな母の元で「(コーダであることに)特別な感じはなかった」が、幼い頃から病院や役所で通訳を求められ、大人との難しいやりとりに苦労した。
 一方、二つの世界を知るコーダだからこそ感じる、手話の豊かな世界があるという。「なぜか手話だと、頭で考えるのとは別に、奥底から感情がどんどん湧き起こる感覚があり、とても楽しい。自分にとって第1言語が手話なのか、今も分からないけど」と尾内さん。手話の特徴として「曖昧な表現がない」とも話す。
 携帯電話の普及などで離れていても、画面越しに手話で話せるようになり便利になった。昔に比べて耳が不自由でも情報を得やすくなったが、「ろう者とその家族が孤立せず、地域の一員として自然に参加できるような社会になってほしい」と願う。
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■コーダの10代に密着 映画「私だけ聴こえる」24日公開
 24日から元町映画館(神戸市中央区元町通4)で公開される「私だけ聴こえる」は、米国で暮らす10代のコーダたちの3年間を追ったドキュメンタリー。「ずっとろうになりたかった」というコピーが目を引く。

 米国では思春期向けの「コーダキャンプ」や、各国からコーダが集まる「コーダカンファレンス」などの活動が展開されている。映画では、多感な年代のコーダがキャンプファイアを囲んで「学校に行けば『障害者の子ども』扱い、ろうからは『耳が聞こえるから』と距離を置かれる」と悩みや孤独を打ち明け合い、はじける笑顔を見せる。その中に「私はろうになりたい」と漏らす少女もいた。
 松井至監督は「聞こえる方がいい、というのは音声至上主義の世界に生きる、聞こえる側から見た考えにすぎない。ろう文化には映像を目で読む豊かな身体言語がある」とし、「人は誰もが居場所を探しながら、他者と生きる。映画がそんな経験のひとかけらになれば」と話す。同映画館TEL078・366・2636

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