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関学大職員ボランティアコーディネーター の成安有希さん
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関学大職員ボランティアコーディネーター の成安有希さん
被災者の自宅で共に食卓を囲み、笑顔を見せる成安有希さん(左から2人目)=2016年8月、岩手県野田村(成安さん提供)
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被災者の自宅で共に食卓を囲み、笑顔を見せる成安有希さん(左から2人目)=2016年8月、岩手県野田村(成安さん提供)

 東日本大震災から11日、発生から丸6年を迎える。いまだ福島第1原発事故の収束は見通しがつかず、被災地の復興は道半ば。阪神間で被災者に寄り添い続ける人を紹介する。

■苦しさに笑顔で向き合い

【関学大職員ボランティアコーディネーター 成安有希さん(23)】

 今年も11日は岩手県北部の野田村で迎える。会いたい人がたくさんいる。「東北に帰るのは半年ぶりですね」。東北には「行く」ではなく、「帰る」と表現する。「私を育ててくれた場所。故郷みたいなものですから」

 6年前。大分市内の進学校に通う高校2年生だった。テレビで津波の映像を見て、泣いた。家族で食卓を囲む自分と、テレビに映る被災地。ギャップに耐えられなかった。

 震災から約1年後の2012年4月、心理学を学ぼうと関西学院大(西宮市)社会学部に入学。同年夏、同大学が震災で37人が犠牲になった野田村へボランティアバスを運行していると知り、すぐに申し込んだ。

 初めての被災地。仮設住宅で茶話会を開いたり、高齢者の話し相手になったりした。会話中、笑顔を見せる被災者たちにどう接したらいいか分からなかった。「つらい話に共感するのが役目。私は笑ってはいけない」。勝手な思い込みだった。

 日常に戻っても東北のことが頭を離れなかった。「考えるだけでも苦しかったけど、逃げちゃいけないと思った」。答えのない課題に苦悩しながらも通い続けた。

 それから2年後。被災地に足を運ぶ回数が増え、被災者とお酒を酌み交わすようになると、笑えるようになった。「苦しさに寄り添うだけではなく、自分が楽しまないと相手に楽しんでもらえない」と、ようやく気づけた。被災者も家族の病気のことや生計のことなど、胸に抱える悩みを吐き出してくれるようになった。

 就職活動はしてはみたが、支援の時間を割いてまで続ける意味が見いだせなかった。その頃、関学大に学生ボランティアをサポートする支援室が新設されることを知り、16年春から支援室の職員に。「ボランティアが自分を成長させてくれた。そんな学生が増えたら面白くなる」と笑う。

 野田村では高台移転も進み、仮設住宅も約200世帯から12世帯に減少。大学のボランティアバスも昨年春、運行を取りやめた。

 それでも村に通い続ける。被災者を訪ねて話を聞いたり、農作業を手伝ったり。「被災者の間にできた復興格差がコミュニティー形成の妨げになっている。高台ができたから復興が完了したわけではない」と思う。

 これまで約20回訪れた。被災者の話をただただ聞き、自分の近況を伝える。支援といえるものではないかもしれない。それでも、これからも一人一人の課題に、向き合っていくつもりだ。(斉藤絵美)

【メモ】関学大ボランティア活動支援センター ヒューマン・サービス支援室 学生に向けたボランティアの情報提供や、学生の活動相談に乗る。昨年4月の熊本地震でも学生を現地に派遣した。TEL0798・54・6061

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