阪神

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ピーク時は約200種、約1700点の動物が飼育されていた阪神パークの動物園(1988年撮影、西宮市情報公開課提供)
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ピーク時は約200種、約1700点の動物が飼育されていた阪神パークの動物園(1988年撮影、西宮市情報公開課提供)
約60メートルの高さがある「ヘリコプター塔」はパークのシンボルだった(1983年撮影、西宮市情報公開課提供)
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約60メートルの高さがある「ヘリコプター塔」はパークのシンボルだった(1983年撮影、西宮市情報公開課提供)
2003年3月、閉園のあいさつをする、当時園長だった森永純さん(阪神電鉄提供)
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2003年3月、閉園のあいさつをする、当時園長だった森永純さん(阪神電鉄提供)
2001年から閉園まで阪神パークの園長を務めた森永純さん=大阪市北区
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2001年から閉園まで阪神パークの園長を務めた森永純さん=大阪市北区

 高さ約60メートルの「ヘリコプター塔」に、世界初の珍獣「レオポン」の誕生-。70年以上に渡って地元の人々に愛された兵庫県西宮市の遊園地「阪神パーク」(2003年閉園)。跡地に立つ商業施設「ららぽーと甲子園」(同市甲子園八番町)にはいまも子どもたちの笑い声が響いている。遊園地や動物園、プラネタリウムにプールまで、何でもそろった阪神パーク。「地元・西宮の誇りだった」と長年通い続けた男性は話す。(名倉あかり)

 運営した阪神電鉄によると、1929(昭和4)年、現在の同市浜甲子園に、阪神パークの前身となる「甲子園娯楽場」がオープン。2001~03年に園長を務めた阪急阪神不動産の森永純取締役(58)は「欧米のパークを視察し、東洋一の遊園地を造ろうとしていた」と説明する。

 水族館は世界最大級の水槽やゴンドウクジラの飼育などで話題を集めたが、1943(同18)年、戦局の悪化により飛行場の拡張を理由に全面的に取り壊された。

 戦後は阪神甲子園球場の南東に移転し、約12万平方メートルの敷地に動物園、遊園地、プラネタリウムなどを備えた総合遊園地として再出発した。最寄り駅の阪神甲子園駅からパークまでの歩道にはライオンやペンギンなどの白い像がずらりと並び、幼い頃から閉園まで通い続けた男性(62)=西宮市=は「今から阪神パークに行くんやとワクワクした」と懐かしむ。

 59(同34)年にはヒョウとライオンを両親に持つ「レオポン」が誕生。世界初の珍獣に国内外から注目が集まり、おりの前には連日人だかりができたという。

 さらに5年後、子ども向けの浅いプールや人工の波が押し寄せるプールなどを備えた「デラックスプール」が完成した。パークは家族連れやカップルでにぎわい、73(同48)年のピーク時には年間来場者数が130万人を超え、動物の飼育数も約200種、約1700点に上った。

 95(平成7)年の阪神・淡路大震災では、園内全域で液状化現象が起き、遊具やプールが壊滅的な被害を受けた。それでも地元の人々を勇気付けようと、半年後には営業を再開した。震災から2年後、遊園地と動物園を縮小して住宅展示場を併設したが、住宅需要が一段落し景気の後退も重なり、2003(平成15)年、73年間の歴史に幕を閉じた。

 閉園日には約1万人が訪れ、花火が打ち上げられた。見守った男性は「一つの時代が終わったなと涙が込み上げてきた」と当時を振り返る。

 「令和」の新時代を前に、現在の「ららぽーと甲子園」を運営する三井不動産(東京)は「阪神パークのにぎわいや憩いを継承し、子どもからお年寄りまでが集う場を提供していきたい」としている。

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