阪神

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昭和21年ごろの焼け野原となった杭瀬商店街付近(故・中田寅一氏撮影、尼崎市立地域研究史料館提供)
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昭和21年ごろの焼け野原となった杭瀬商店街付近(故・中田寅一氏撮影、尼崎市立地域研究史料館提供)
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 74年前の1945(昭和20)年8月15日、日本は敗戦国として終戦を迎えた。大都市・大阪と隣接し、石油施設なども抱える尼崎市は米軍の攻撃の標的となり、B29による空襲は敗戦までに計8回に上った。終戦の半年前ごろから、米軍は軍需工場に爆弾を落とす作戦に加え、市街地での焼夷弾攻撃を重ね、焦土と化した町では計479人が亡くなった。

 特に6月1日、同15日の空襲は尼崎に甚大な被害をもたらした。1日には西長洲、金楽寺、開明、杭瀬、梶ケ島などが焼けて248人が亡くなり、64人が犠牲となった15日の空襲では杭瀬、大物、城内など広範囲にわたって焼失した。終戦直前には、市南部にあった石油関連施設や発電所に爆弾が落とされた。

 戦況が悪化するにつれ、戦禍を免れた人たちも、配給による物資だけでは足りず生活に困窮した。戦後間もなく、阪神出屋敷駅周辺では巨大な闇市が出現し、米や野菜、魚などを買い求める人で阪神間随一のにぎわいをみせた。闇市は後に新三和商店街に発展。焼け野原となった町は市井の人たちの力で復興をみせた。(斉藤絵美)

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