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50年にも及ぶ活動を振り返る松光子さん=尼崎市役所
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50年にも及ぶ活動を振り返る松光子さん=尼崎市役所

 今年6月末で解散した「尼崎公害患者・家族の会」で、会長として長年にわたって、患者支援や排ガスによる道路公害の改善に取り組んできた松光子さん(87)=兵庫県尼崎市。自身も1972(昭和47)年に慢性気管支炎などの認定を受け、訴訟後、国との協議中に一人息子を亡くしながらも、青い空を取り戻す活動の先頭に立ち続けた。その功績をたたえて、今月9日、同市から特別表彰を受けた松さんが約半世紀に及んだ闘いと現在の思いを語った。

 -表彰を受けた気持ちは。

 「個人でもらったのは初めて。飽きずにしてきてよかったなと。いったんやり出したら競走馬と一緒で止まらなかった。これでいったん止まれる」

 -会の活動を振り返って。

 「昔は、ぜんそくと結核が市の南部の風土病と言われた。『なんで?』って。せきが出てお医者にかかるやん。ごっつお金いるやんな。みんな食べていくのも精いっぱい。そしたら子どもにだけは薬を飲ませて、残りちょっとを親が飲むという感じでね。こんなことをしとったらあかんわ、というのが始まり」

 「主婦でした。主婦が立ち上がるのは強い。ましておばちゃんがね。ずっと地域に住んでた近所のおばちゃん連中が一緒に頑張ってくれたんが力強かった。当時、『結婚して(尼崎市の)塚口とか園田にいった子どもが、遊びにきてくれない』って言われた。阪神(電鉄)線から南は臭いが違うからって。子どもが来られるようにどないしたらええの、きれいになったら戻ってくれるの、っていうのが(活動の)一番やったね」

 「患者さんの思いは、お金が欲しいとか、自分の家をどうにかせえ、ではなくて『住めるような街に』という一点だった」

 「会員は一番多い時で2700~2800人はいてたかね。(解散時は亡くなった人が欠けて)100人くらい。会を解散するつもりはなかったんよ。3年前くらいから誰か引き継いでくれへんかと口説いてたけど、みんな『荷が重い』って」

 -市内の今の環境は。

 「市の南部はまだまだ緑がない。昔みたいに海や川で遊べると100点だけど。昔の尼崎に戻すのは無理やねんけども、トンボをとったり、自然と触れ合う場所がまだ南には戻ってきていない」

 -国との協議中(2011年)にご長男を亡くされた。伝えたいことは。

 「あるよ、山盛り。ほったらかしやったから。九州に転勤し、病気になったと聞いた時にすぐに行ってあげられなかった。(尼崎市)東本町の国道43号の陸橋にエレベーターをつくらなあかんと、もめてる最中だった。亡くなる半年くらい前かな。それが悔やまれるわね。お寺お参りしても『今来ても遅いわ』と言われそうで。怒られているような気がする」

 「公にはある程度やったと、100パーセントではないけど達成感がある。今から家族に寄り添う言うても誰もおらへんから。今後、何をするかと言われても先が読めない。50年間、運動ばかりやってきたから」

 -(兵庫では)播磨臨海地域道路など大きな道路の建設は今も進む。道路行政に求めることは。

 「沿道にどういう対策を立てるのか、環境政策をどうするのかをきちっと報告して、皆が納得してから道路をつくるのであればいいが、先につくっといて、ばい煙、騒音を辛抱せえはないやろと。アセスメントをきちっとしてもらい、住民にこういう被害が出ますと最初に言うてくれたらええんや。住民と話し合いをして環境対策をしたら、そんなに問題になることはないと思う」

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