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阪神・淡路大震災で犠牲になった宝塚市民72人が刻銘された「追悼の碑」。遺族が望まなかったり連絡が取れなかったりした46人分のスペースが空けてある=宝塚市小林、ゆずり葉緑地
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阪神・淡路大震災で犠牲になった宝塚市民72人が刻銘された「追悼の碑」。遺族が望まなかったり連絡が取れなかったりした46人分のスペースが空けてある=宝塚市小林、ゆずり葉緑地
17日にあった碑の除幕式で、刻まれた家族の名前を写真に収める遺族ら=宝塚市小林、ゆずり葉緑地
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17日にあった碑の除幕式で、刻まれた家族の名前を写真に収める遺族ら=宝塚市小林、ゆずり葉緑地

 阪神・淡路大震災で犠牲になった兵庫県宝塚市民は118人。そのうち21人の遺族は、17日に、ゆずり葉緑地で除幕された「追悼の碑」に家族の名を残すのを望まなかった。連絡が取れなかった遺族も除き、碑に刻銘されたのは72人。遺族の「生きた証し」への求めは一様ではなかった。「家族が覚えているだけでいい」と話す遺族もいる。

 震災で義理の母、津田ミツヱさん=当時(91)=を亡くした女性(69)もその一人。「若くして亡くなった人と違い、十分に年を重ねたから」と語る。

 ミツヱさんは夫と2人、大阪で呉服店を営んだ。女性は「先見の明があって、賢かった。『これから呉服屋は大変だから』と子どもには会社勤めを勧めた」と人柄を懐かしむ。宝塚で20年以上同居し、多くを学んだ。孫の手を引いて清荒神清澄寺に連れていった義母の姿もよい思い出だ。

 90歳を超え、「最期は、自宅で枕元に集まって送ってあげたい」と家族は思っていた。そんな時に、震災は起きた。和だんすが倒れて、ミツヱさんは腰を骨折。入院先で体調が悪化し、亡くなった。

 ショックだったし、悲しかった。だが、悲しみにふける余裕もなく葬儀を済ませた。断水の日々を過ごした。当時の記憶はあまりない。「痛い思いをさせた」と思うが、抱く感情は「感謝」だけ。後悔は残っていない。

 今、女性には宝塚、西宮市に住む息子夫婦と孫4人がいる。「おばあちゃん(ミツヱさん)も私たちをかわいがってくれたから」と自身も温かく孫らと接してきたつもりだ。毎月17日の命日には、墓を参った。夫が亡くなってからは、夫の命日の29日に。2人の顔を思い浮かべ、「私が覚えているよ」と心の中で語りかける。

 碑の建立には賛成している。「震災が風化しないように、無念の死を遂げた人の名前が残るのは意味がある」

    ◆    ◆

 遺族の意向を聞き取った宝塚市秘書課によると、「もう思い出したくない」「名前をさらしたくない」という意見もあった。また、死と直接向き合った親や配偶者が亡くなり、次の世代が刻銘を望まなかった遺族も少なくなかった。同課の担当者は「25年の月日を感じる」と話す。(小谷千穂)

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