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アメフトの試合が開かれている1990年代後半の西宮球技場=西宮市深津町(読者提供)
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アメフトの試合が開かれている1990年代後半の西宮球技場=西宮市深津町(読者提供)
1962年に撮影された西宮球技場。サッカーの試合も行われていた(西宮市情報公開課提供)
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1962年に撮影された西宮球技場。サッカーの試合も行われていた(西宮市情報公開課提供)
阪急西宮ガーデンズの別館駐車場となっている西宮球技場の跡地=西宮市深津町
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阪急西宮ガーデンズの別館駐車場となっている西宮球技場の跡地=西宮市深津町
神戸新聞NEXT
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 家族連れやカップルでにぎわう大型商業施設「阪急西宮ガーデンズ」(兵庫県西宮市高松町)。その南側にある別館駐車場の敷地に、小さな記念碑がひっそりと立っている。刻まれた文字は「FIELD OF GLORY(栄光の球技場)」。そこにあったのは、かつて「関西アメリカンフットボールの聖地」と呼ばれた西宮球技場。数々の名勝負がここで繰り広げられた。

 1937(昭和12)年、阪急電鉄が、今の阪急西宮ガーデンズの地に西宮球場を建設。同時に、ここを一大スポーツエリアとすべく、球技場もオープンさせた。41年11月にはアメフトの関西学生リーグがスタート。現在の高校サッカー、ラグビーの全国大会も戦後に開かれていた。

 「聖地」と呼ばれるきっかけは66年11月、関西リーグ優勝を懸けた関西学院大と関西大の一戦。戦後のアメリカ文化人気を背景に観客が増えた時期とはいえ、この大一番では収容人数約4千人の西宮球技場に約6千人の観客が詰めかけた。リーグを運営する関西アメフト協会の元理事長、古川明さん(89)は「サイドライン際に急きょ縄を張った。観客はそのラインぎりぎりまであふれていた」と振り返る。

 盛況は関西アメフト協会に大きな収益をもたらし、後の活動の基盤ができた。同時期にラグビーやサッカーの大会が他へ移転。球技場はほぼアメフト専用になる。大学リーグ戦を中心に多い時期で年間約90試合が開かれた。黎明(れいめい)期からアメフトを支える「聖地」として認知されていった。

 グラウンドは天然芝。関学大OBでもある古川さんは「芝の独特な匂いがしたことを今でも鮮明に覚えている」と現役時代を懐かしむ。一方で西宮球場の競輪開催時は駐車場となった経緯もあり、土がむき出しになることも。関西大の学生としてよく観戦に来た守屋昌彦さん(63)=福岡県北九州市=は「雨が降れば泥だらけで試合用の白線は消えていた。晴れの日も観客席まで砂ぼこりが舞って大変だった」と苦笑する。

 選手にとって「プレーできることが名誉」とされた球技場。だが、開設から70年近くたった2004年、解体を余儀なくされる。隣の西宮スタジアム(球場)が、収入の大部分を占めていた競輪の廃止を機に解体が決まる。球技場は一体施設として運命を共にすることになった。

 「非常に残念だった」と古川さん。拠点を王子公園(神戸市灘区)へ移した関西協会は、聖地の記憶を残そうと電光掲示板を同公園に移設。現在も使用されている。

 同球技場の跡地周辺はおしゃれな商業エリアに生まれ変わり、男たちの激闘の痕跡はほぼ見当たらない。古川さんは脇を通る阪急電鉄から、かつての“聖地”を見下ろすことがあるという。「今でもさみしくなります」とつぶやいた。(村上貴浩)

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