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鳴尾ゴルフ倶楽部「浜コース」の5番ホール(鳴尾ゴルフ倶楽部提供)
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鳴尾ゴルフ倶楽部「浜コース」の5番ホール(鳴尾ゴルフ倶楽部提供)
浜コースでプレーする当時の会員たち(鳴尾ゴルフ倶楽部提供)
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浜コースでプレーする当時の会員たち(鳴尾ゴルフ倶楽部提供)
1925年に完成したクラブハウスと完成を喜ぶ会員たち(鳴尾ゴルフ倶楽部提供)
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1925年に完成したクラブハウスと完成を喜ぶ会員たち(鳴尾ゴルフ倶楽部提供)
鳴尾ゴルフ倶楽部の浜コース跡地。武庫川団地が立ち並んでいる=西宮市高須町1
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鳴尾ゴルフ倶楽部の浜コース跡地。武庫川団地が立ち並んでいる=西宮市高須町1
神戸新聞NEXT
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 兵庫県川西市北部の住宅地にほど近い丘陵地帯に、豊かな自然と、芸術的とも称されるたたずまいでゴルファーを魅了する珠玉の18ホールがある。100年の歴史を誇り、日本オープンや日本シニアオープンなどのメジャー大会も開かれている「鳴尾ゴルフ倶楽部」(同市西畦野)。ただ発祥はこの地ではない。倶楽部の名が示す通り、20キロ余り南の西宮市沿岸部、旧鳴尾村から名門の歩みは始まった。

 前身は、日本ゴルフ発祥の地・神戸がルーツの「鳴尾ゴルフ・アソシエーション」。鳴尾村の速足(はやあし)競馬場跡地にあった芝生目当てに1914(大正3)年に設立され、9ホールを設けた。団体は20年に解散したが、土地を所有する巨大商社「鈴木商店」の社員と外国人の有志がコースを引き継ぎ、計38人で同年、鳴尾ゴルフ倶楽部を立ち上げた。

 コースは雑草や水たまりの荒れ地が多く、まともに使えたのは3ホール。道具は同社のロンドン支店長に送ってもらい、クラブハウス代わりにコース北側の農家で着替えや食事をしたという。まだ英国人が日本でゴルフを始めて20年ほど。認知度は低く、鈴木商店の大番頭がクラブを持った社員を見て「大きな耳かきで何をするんだ」と言った-という逸話が残る。

 しかし翌21年、新たに50人が入会して資金が増え、設備が整い始める。土と砂を固めたサンドグリーンは、22年に関西で初めて芝を植えたグラスグリーンに。24年には全18ホールの通称「浜コース」が完成する。優勝者を決める選手権大会を開催できるコースは日本でまだ珍しく、国家公務員上級職の初任給が75円の時代に、約9400円もの大金で整備された。

 各ホールは特徴に応じた愛称で親しまれた。同倶楽部の50年史は「2番(ホールの)ティに来ると、見渡す限りの砂地。その広々としていることは(愛称の)『サハラ砂漠』そのまま」と記す。草刈りには牛が使われ、牛ふんに乗ったボールは近くに移して打っていいというローカルルールもあった。

 「鳴尾浜のこの場所で、多くの日本人がゴルフと出合った」とは同倶楽部の広報委員長光本浩二さん(61)。「その流れがあったから、日本中にゴルフやゴルフ場が広がった」とみる。

 だがやがて時代の荒波が浜コースを襲う。27(昭和2)年に金融恐慌のあおりで鈴木商店が破綻。土地の所有者が転々とした結果、敷地の南半分は戦闘機などを製造する川西航空機に移り、29年に9ホールへと縮小された。日中戦争開始後の39年、同社の工場拡張のために残る土地も返却。ついに完全閉鎖となった。

 救いだったのは、先立つ30年に今の通称「猪名川コース」も開設していたこと。会員らはクラブハウスと、良質との定評があったグリーンの芝約1ホール分を浜コースから移し、歴史をつないだ。

 在りし日の浜コースは、広い上に周囲に視界を遮るものが少なく、遠い六甲の山並みまでよく見えた。跡地には現在、武庫川団地の巨大な建物が林立。往時の痕跡は見当たらない。

 ただ、受け継がれているものもある。24年に始まった倶楽部内の競技「ストロベリー杯」は、鳴尾名物のイチゴが賞として贈られたことがその名の由来とされる。世界的スター選手を迎える格式も不変で、浜コースでは30年に名手ヘーゲンとカークウッド、現コースでも67年にニクラウスらビッグ3がプレーした。場所は変われど、伝統は脈々と息づいている。(村上貴浩)

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