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棚橋純子さん
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棚橋純子さん
温井甚祐さん
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温井甚祐さん

■親しみやすさ大切に番組作り

 「宝塚に放送局ができるんだって」。念願かなって40歳を超えて声の仕事を始めたパーソナリティー棚橋純子(65)。そして、長らくテレビの世界で仕事をしてきた取締役局長の温井甚祐(じんゆう)(76)。共通する思いは「親しみやすさ」。市民のためになるラジオ局も、いざというとき役に立つラジオ局も、この土台がないと生き残れない。コロナ禍もある。番組の質、ネット配信、イベント開催…。聴取者に喜んでもらえる「何か」を探している。

     ◇     ◇

 兵庫県阪神間で4番目、尼崎、伊丹、西宮に次いで開局したエフエム宝塚。周波数不足などを理由に放送免許がなかなか下りず、開局は予算措置から2年後の2000年9月だった。

 地元に放送局ができる。スタッフ募集が始まる前に開設準備の事務所を訪れた棚橋。声優になりたいと思いながら結婚、出産。その後、子どもが通う幼稚園で人形劇クラブに所属し、少し希望を実現した。そこに舞い込んだ開局の話。声の仕事ができるチャンスとばかりに、パーソナリティーに名乗りを上げた。

 阪神・淡路大震災で自宅は瓦が割れた程度だったが、長く水道が使えなくなった。下水は近くのプールから運び、上水は井戸水や給水車に頼った。お湯がたくさん必要なカップラーメンはごちそうだった。

 実は、震災を機にできた放送局だと知ったのは番組制作を始めてからだった。ディレクターが「いざというときに聴いてもらえるよう、引きつける番組を作ろう」と言った。1日1回はためになることを言おうと肩肘を張った頃もあるが、今はリスナーに楽しく笑ってもらうことが一番。コロナ禍で気がめいりがちな昨今は特にそう思う。

 年を重ねて体にがたが来だして、目や耳が不自由な人など災害弱者の気持ちが少し分かるように思う。有事の際に何をどう伝えたらいいのか。長年放送に携わる者として、考えている。

     ◇     ◇

 局長の温井はもともと毎日放送で働いていた。テレビの報道番組に長く携わり、震災当時は文化事業を担当。西宮市在住だったが、大きな被害はなかったという。

 当時も映像の担当をしていたら、どんな取材をしただろう-。報道出身の人間として、後になってふと考えることもあるが、当時は被災地のど真ん中を見に行こうという気は起きなかった。「コロナとは違うけど、異常な世界だった。初めての異体験、茫然(ぼうぜん)自失、そんな感じ」

 番組作りに明るいからと声が掛かり、局長となった。「いざというときのエフエム宝塚」になれるよう、災害情報は欠かせない。やはり26年前の体験から、地域情報の重要性が染みついている。

 しかしそれだけでは局が生き残れない。ターニングポイントは11年のインターネット放送開始。東京や海外に広がる聴取者に向けて発信できる。「小さなラジオ局も生き残る可能性がある」と感じた。

 一方で市民に親しまれるラジオ局を目指し、さまざまなイベントも開く。ラジオを聞きながら被災の跡を巡る「防災ラジオdeウオーク」などの参加型番組を手がけ、武庫川河川敷でラジオ放送に合わせて足を上げる「1万人のラインダンス」も開催した。

 コロナ禍でラジオが見直されているという。「聴かれている今がチャンス。ラジオっていいな、値打ちがあるなと思われる『何か』を見つけたい」(敬称略)=おわり

(中川 恵)

【エフエム宝塚】急傾斜地が多く、南北に長い市域に災害情報を提供するためには「FM放送が不可欠」とし、宝塚市などが2000年に開局。11年からインターネット放送を始めると、宝塚歌劇の知名度も手伝って東京や海外にまでリスナーが広がった。周波数は83.5メガヘルツ。スタジオはアピア2にあり、主な聴取エリアは宝塚市を中心に、伊丹市、川西市など。

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