松岡修造さん、伊達公子さん…多くのトップ選手がゆかり テニス王国・芦屋の歴史をたどる
2021/08/25 05:30
国内のテニス活動の国際化に貢献した川廷栄一さんの生涯がパネルで解説されている=芦屋市立美術博物館
東京パラリンピック車いすテニス代表の上地結衣さん、元プロテニスの松岡修造さん、伊達公子さん、沢松奈生子さん…。テニス界トップ選手の多くが阪神間にゆかりがあることを知っていますか? 兵庫県芦屋市を中心にその“王国の歴史”を伝える特別展「スポーツ展~芦屋・阪神間のスポーツの歴史と未来」が芦屋市立美術博物館(同市伊勢町)で開かれている。29日まで。(浮田志保)
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同館が初めて企画。テニスを中心に、芦屋市に縁のあるスポーツの選手・文化人をパネルや写真計180点で紹介する。
会場に入ると、往年の海外トップテニス選手らの写真やラケット、靴がずらり。テニス専門の世界的なカメラマンだった故・川廷栄一さんが撮影したり、交友関係のある選手から譲り受けたりしたものだ。
日本人初の国際テニス連盟(ITF)の理事となり、北京五輪では当時18歳の錦織圭さん(31)の才能を認めて推薦出場に導いた川廷さん。今は息子の尚弘さんが日本テニス協会副会長となり、2代で五輪テニス競技の運営責任者を務める。
親子ともに出身は「テニスのまち・芦屋」だ。
テニスは明治期に欧州から神戸に伝わり、阪神間モダニズムの中で、資産家らが邸宅にコートを設けることが流行した。芦屋にも多数のコートが存在し、阪急阪神東宝グループ創始者の故・小林一三さんも多くを所有した。そのひ孫こそ松岡修造さん。修造さんの父功さんも芦屋出身の元選手で川廷さんとも対戦したことがあり、甲南大時代にデビスカップ日本代表になる。
会場では、伊達さんが園田学園高(同県尼崎市)の選手だった頃の写真もパネルで掲げる。「芦屋国際ローンテニスクラブ」が主催した若手の全国大会「KSジュニア・ガールズ杯」で優勝した際の1枚で、過去の出場選手には同県西宮市出身の沢松さんの名前もある。
同クラブは1955年に、テニスクラブの草分けとして創設され、かつてウィンブルドン女子ダブルスで優勝した沢松和子さん=西宮市出身=らも練習。阪神間ではこうした有力クラブや私立学校が連動し、名選手がやがて指導者になってレベルを上げていった。
上地さんもその風土で育った1人という。特別展では学生時代、車いすテニスの関西屈指の指導拠点だった「芦屋グリーンランドテニスクラブ」(閉鎖)で練習していたことを伝える。
芦屋市立美術博物館学芸員の室井康平さん(31)は「全国に競技人口が増えた今でも、芦屋には愛好者が多い。まちの歴史を知ってテニスをより楽しんでほしい」と話す。
◇ ◇
今も市総合公園や海洋体育館、ゴルフ場があり、多彩なスポーツを楽しめる芦屋市。その礎を築いたのは、1948(昭和23)年に市長に就いた猿丸吉左衛門さんだ。相撲で学生横綱、ハンマー投げで日本記録を出した「スポーツマン市長」で、運動を通じた市民の健康づくりを進めた。
他にも特別展では、戦後間もなく芦屋水練学校を創設し、64年の東京五輪水泳で日本代表総監督を務めて「水泳日本の生みの親」と称された高石勝男さんや、市内に仕事場を置いた世界最年長のサッカージャーナリスト賀川浩さんらの生涯や人物像も伝えている。
また、96年のアトランタ、2000年のシドニーと五輪2大会にカヌー競技で連続出場し、現在、県立芦屋特別支援学校で教員を務める遠藤小百合さんも紹介。シドニー五輪で使ったユニホームやカヌーも展示している。