将棋の棋士、亡き弟子の名を慰霊碑に探す ぼくとつでまじめ「プロになれば必ず活躍した」

2022/01/17 21:54

弟子の冥福を祈って献花する森信雄さん(右から2人目)=ゆずり葉公園

 阪神・淡路大震災の犠牲者をしのび、兵庫県宝塚市小林の「ゆずり葉緑地」にある慰霊碑でも17日、大勢の遺族らが花を添えたり、祈りをささげたりした。 関連ニュース 兵庫県アマ将棋名人戦 第2回東地区大会で84人が手の読み合い 神戸 藤井と永瀬、波乱の幕開け 将棋王位戦第1局 初日に千日手が成立 将棋王位戦第1局 61手目で「千日手」成立、指し直しに

 市内に住む将棋の棋士・森信雄さん(69)は家族4人で慰霊碑を訪ね、亡き人の名前を探した。震災で失った、弟子の船越隆文さん=当時(17)=だ。
 震災前年の1994年、船越さんは16歳で森さんに弟子入りした。福岡県から単身で宝塚市内に移り、阪急清荒神駅近くの木造アパート1階で独り暮らしを始めた。
 ぼくとつとして、まじめな性格。大阪の通信制高校に通いながら、森さんの元に通い、着実に将棋の腕を上げていた。しかし、震災でアパートは全壊。がれきに埋もれて命を落とした。
 あの朝、森さんは対局のために東京にいて、神戸で地震があったことを知った。「ニュースでは神戸しか出ていない。宝塚はきっと大丈夫」。そう思ったが昼になって、まな弟子が行方不明になっていると知る。
 対局を勝利で終えた翌日未明、将棋会館の職員からメモを渡され、船越さんが亡くなったことを知った。
 「これから伸びていこうとしたところだった。プロになれば必ず活躍した。こつこつと勝ちを重ねていくタイプだった」
 そう言って、慰霊碑に刻まれた船越さんの名前の前で、そっと手を合わせる。「弟子たちが頑張っている。応援したってな」と祈った。
   ◇   ◇
 慰霊碑は2020年にできたばかり。そこには、震災で81歳の祖母を亡くした山本友紀さん(51)=宝塚市=の姿もあった。
 祖母の神田龍さんは中山寺の近くの木造家屋で、山本さんの伯母と2人暮らしをしていた。2階で寝ていると全壊し、頭部にはりが直撃。即死だった。伯母は1階にいて下敷きになるのを免れ、がれきから助け出された。
 龍さんは温かい人柄で、山本さんは子どもの頃によく遊んでもらった。
 「優しい祖母しか知らないので、訃報を聞いて本当に悲しかった」
 昨年1月、慰霊碑に祖母の名前が刻まれているのを初めて見て「ここに祖母が生きている気がする」と心を打たれた。今年も夫の哲秀さん(51)、母の保子さん(84)=伊丹市=と3人で訪れ、また名前を探す。
 「あっ、あったよ!」。見つけると慰霊碑を指でなぞり、じっと見詰めて言った。「本当に、会いたくなるよね…」
 そして手を合わせて目を閉じ、思いを届けた。「おばあちゃん、いつまでも母や私を見守ってね」と。(西尾和高)
【特集ページ】阪神・淡路大震災

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