【マラソン】尼崎の五輪選手 前田穂波

2022/07/24 05:25

女子マラソン 中盤、力走する前田穂南=2021年8月7日、札幌市内

 身長166センチ。すらりと長い手足を生かし、軟らかなスライド走法と抜群の勝負感が持ち味だ。 関連ニュース 「本人が一番悔しいと思う」女子マラソン前田欠場 中高生時代の恩師や先輩、再起願い「これからも応援」 五輪女子マラソンの前田穂南が欠場 右大腿骨を疲労骨折「出場は選手生命に関わる」 パリ五輪、女子マラソンで日本勢20年ぶりメダルへ 前田穂南を支える「チーム兵庫」

 東京五輪で陸上女子マラソンの代表になった前田穂南選手。尼崎市立園和北小学校、園田東中学校を経て、高校は大阪の名門校に進学した。そして天満屋から、東京五輪への切符をつかみ、33位で完走した。
 2019年の記事から軌跡を振り返る。(肩書、年齢は当時)

 ■前田ひたむき 五輪切符 高校3年間控え、悔しさ糧に開花(2019年9月16日)

 五輪本番とほぼ同じコース。厳しい暑さが残る東京のど真ん中を、独走で駆け抜けた。
 15日に行われた2020年東京五輪代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ」(MGC)。女子は尼崎市出身の前田穂南(23)=天満屋=が優勝し、五輪切符を獲得した。高校までは全国的に無名の存在。実業団で花開いたヒロインは「優勝を狙っていたのですごくうれしい。切り替えて金メダルを目指して取り組んでいきたい」と瞳を輝かせた。

 尼崎市立園田東中学校から強豪の大阪薫英女学院高校に進学。3年時にはチームが全国高校駅伝で初優勝を果たしたが、自身は3年間控えで、都大路を走る機会は一度もなかった。
 悔しさを糧に、岡山に拠点を置く天満屋女子陸上部へ。2000年シドニー五輪の山口衛里(西脇工業高出身)▽04年アテネ五輪の坂本直子(県立西宮高出身)▽08年北京五輪の中村友梨香(同)▽12年ロンドン五輪の重友梨佐-と4大会連続で五輪代表を送り込んだ名門で、マラソンへの適性を開花させた。
 「競技のこと全てを生活の一部にし、こつこつ積み上げられる選手」。現役時代に神戸製鋼陸上部で活躍した天満屋の武冨豊監督(65)は、前田のひたむきな姿勢を評価する。
 この日、応援に駆け付けた母の麻理さん(45)は「警報で学校が休みの時に、やめてって言っても走りに行ってしまう。『走らないとほかの選手に負けるから』って」と娘の根気強さを物語るエピソードを振り返り「よく頑張ったねって声を掛けた」と目を細めた。
 「オリンピックのために実業団へ行きたい」と親を説得し鍛錬を重ねてきた努力家は、憧れの大舞台に立つ権利を得た。ただ、まだ夢への通過点。「世界でしっかり戦えるように」。号砲まで1年を切った本番を見据え、走り続ける。


 ■尼崎 女子マラソン五輪代表内定 頑張れ前田 懸垂幕登場 市役所南館(2019年10月7日)

 来年の東京五輪女子マラソン代表に内定した尼崎市出身の前田穂南(23)=天満屋=を激励する懸垂幕が、同市役所南館に取り付けられた。
 前田は、同市立園田東中学校で本格的に陸上を始め、名門の大阪薫英女学院高校を経て実業団入り。地道に力をつけ、9月15日に行われたマラソンの東京五輪代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ」で優勝を飾り、代表権を獲得した。
 長さ6メートル、幅0・9メートルの懸垂幕には大きく「祝」の文字。1日昼に掲示される様子を見た同市の会社員香川義行さん(54)と妻の由貴さん(54)は「地元の誇り。活力が足りない今の社会にエネルギーを与えてくれた。本番は沿道に応援に行く予定です」と話した。
 母校の園田東中や園和北小学校も校内に横断幕を取り付ける予定。

 ■兵庫リレーカーニバル注目選手 前田穂南・GP女子1万メートル(2021年4月20日)
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(https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/202104/0014257163.shtml)


 ■「ほーちゃん、頑張れ」五輪女子マラソン前田穂南 恩師がのぼりで応援(2021年8月5日)
(https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202108/0014564290.shtml)

 ■五輪女子マラソン、尼崎出身の前田33位 陸上勧めた小6時の担任・増田さん 粘り強く完走「よかった」(2021年8月8日)

 7日朝に行われた東京五輪の女子マラソンで33位となった前田穂南(25)=天満屋、尼崎市出身。気温30度近い真夏の札幌で、持ち前の粘り強さを発揮して力走する姿を、恩師もたたえた。
 尼崎市立園和北小6年の時の担任で、中学での陸上部入部を勧めるなど前田が陸上を志すきっかけをつくった増田吉英さん(63)は、沿道から離れた場所で見守った。
 暑さ対策のため、レースは当初の予定より1時間早い午前6時にスタート。前田は序盤、先頭で引っ張る場面もあり、増田さんは「いつも前向きにチャレンジしている『ほーちゃん』らしい」と、堂々とした走りに目を細めた。
 新型コロナウイルス禍で五輪が1年延期となり、前田は心身両面での調整の難しさを感じたといい、レースでは中盤に後退。脚のけがの影響も出た。増田さんは小声で「ほーちゃん、頑張れ」とつぶやき、祈るような思いだったという。
 トップ集団に離されても、42・195キロを最後まで駆け抜けた教え子の勇姿をしっかりと目に焼き付け、「脚の痛みを心配したが、五輪のスタートに立ち、完走してくれてよかった」と感極まっていた。

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