「羽生結弦」と「弓弦羽神社」 ファンがつないだ「良縁」12年 参拝4回、五輪後に記念品も
2022/08/23 17:08
羽生結弦さんの活躍を願う絵馬が多く掛けられている弓弦羽神社の境内=神戸市東灘区御影郡家2
「はにゅうゆづるです」。帰り際、あどけなさが残る少年の隣で、母親が控えめに名乗った。名前が似ている縁で「弓弦羽神社」(神戸市東灘区にある)に初めて立ち寄ったフィギュアスケート男子プロの羽生結弦さん(27)だった。トップ選手になる前の2010年秋頃の話だ。その後3回参拝し、ファンが願掛けに殺到する「聖地」にもなった。沢田政泰宮司(68)に、その出会いと思い出を聞いた。
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■したためた夢
最初の参拝のとき羽生さんはまだ、シニアの試合にデビューしたてだった。ジュニアでは世界選手権優勝など実績十分だったが、沢田宮司は名前を聞いてもすぐにピンと来ず、後でインターネットで調べたぐらいだった。「線が細いな」という印象はよく覚えている。
およそ1年後の11年夏、羽生さんは再びやって来た。この年の3月11日に東日本大震災が発生。仙台市の自宅が全壊し、避難所生活も経験した16歳の少年は、絵馬にこうしたためた。
世界のトップになれますように… そして、東北の光となれるように!
この絵馬は沢田さんが直接預かったわけではなく、拝殿前の掛け所で他の参拝客の絵馬に紛れていた。年末にまとめてたき上げる準備をしていたとき、アルバイトのみこが羽生さんの名前に気付き、沢田さんに渡したという。
■8年越しに
沢田さんはその絵馬を大事に保管しておいた。彼がこの夢をかなえたときにたき上げよう、と思ったからだ。
その後の活躍は目覚ましかった。14年のソチ五輪で、フィギュア日本男子初の金メダルを獲得。18年の平昌五輪ではフィギュア男子66年ぶりの五輪2連覇を果たし、同年7月、個人では史上最年少の23歳で国民栄誉賞を受けた。
「あなたはもう日本の、世界の光になった」。沢田さんはこの年の年末、実に8年越しにそっと、羽生さんの絵馬をたいた。
優勝した2度の五輪後には、お世話になった関係者の一人として、沢田さんに記念品を贈ってくれた。その間、報道やSNS(交流サイト)を通じて神社の知名度は上がり、全国からファンが詰めかけた。五輪の時期には、掛けられている絵馬の6~7割を羽生さん関連が占めるようにまでなった。
15、17年にも必勝祈願に訪れた羽生さんは「こうやって背中を押してもらえるのはうれしいですね」と笑顔で話したという。「神主目線で見ても彼は畏敬の念をしっかり持っている。礼儀正しく、周囲のおかげで自分があると常に謙虚に考えられる。だからあれだけ立派な成績を残し続けられたのでしょう」と沢田さんは感心する。
■ファンの聖地に
元々、羽生さんが弓弦羽神社の存在を知り、立ち寄ったのは、神戸在住のファンがこの神社のお守りを贈ったのがきっかけだった。沢田さんは後でそれを知った。
平昌五輪では、試合時間に合わせてファンが境内に集まり、「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さんの姿もあった。おさい銭を投げ、スマートフォン越しに声援を送って歓喜した。
過激なファンが「羽生選手と結婚したい」と絵馬に書いた少女の自宅を特定して苦情を言いに押しかけたと知ったときは、さすがに参った。とはいえ、「難読の神社名をすらすら読んでもらえるようになってきたのは、羽生さんのおかげ。本当にありがたい」と沢田さんは振り返る。
■国民の願い
羽生さんは今年7月、競技引退とプロ転向を表明。弓弦羽神社には早速、「これからもプロスケーターとして心震える演技を見せて下さい!」「新しい花道が幸せの光に包まれますように」などと書いた絵馬が次々と掛けられた。
沢田さんも、羽生さんの決断を穏やかな気持ちで受け止めた。「競技生活で何年もトップを走り続ける重圧は、私たちの想像に及ばない。お疲れ様と言いたいし、自分のペースでパフォーマンスを磨けるようになるのはとてもいいこと」
会見で羽生さんは、プロ転向後も子どもの頃からの夢だった前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)成功を目標に掲げた。沢田さんは「羽生選手らしいな」と思った。
「スケートに対する情熱、姿勢が異次元。これからまた、彼は高みにいくんだろうなと思う。私だけでなくきっと日本人の誰もが願っていることでしょうが、とにかくけがのないように頑張ってもらいたいですね」
(井上太郎)