姫路

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正則さんの遺影を持つ岡部香津子さん、克馬さん。ネコのサンペイ、マルチーズのハッピーと仲良く暮らす=たつの市新宮町曽我井
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正則さんの遺影を持つ岡部香津子さん、克馬さん。ネコのサンペイ、マルチーズのハッピーと仲良く暮らす=たつの市新宮町曽我井
岡部正則さん。震災の3日前、友人が居酒屋で撮影した
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岡部正則さん。震災の3日前、友人が居酒屋で撮影した

 兵庫県たつの市新宮町で暮らす岡部克馬さん(70)、香津子さん(69)夫婦は、阪神・淡路大震災で長男の正則さん=当時(21)=を失った。香津子さんは今も、自分の何げない一言を悔いている。あの震災から17日で23年。時間が悲しみを癒やしてくれることはない。

 正則さんは、JR姫新線の播磨新宮駅近くで「岡部登記測量事務所」を営む両親をそばで見て育った。

 幼い頃、こんな“電話ごっこ”をしていたのを香津子さんは覚えている。

 「はい、岡部事務所です」「とうきぼとうほんですね。いんかんしょうめいが必要です」

 正則さんは1992年春、大学に進学する。最初に合格したのは近畿大法学部。下宿先を決め、入学金も払った。だが、その後に甲南大法学部に合格した。

 「僕、やっぱり大阪より神戸がええな」。神戸にあこがれがあったらしく、古里に少しでも近いからと両親も賛成した。

 ただ、下宿先を選ぶ時間が足りず、1年生の夏に家族で探し直した。

 4件目に回った神戸市東灘区の文化住宅。木造2階建ての古い物件だったが、大学に近い上、家賃が安いのが決め手になった。

 2階にも空き部屋があった。「火事が起きたらすぐ逃げられる」。1階を勧めたのが香津子さんだった。

 正則さんは大学の演劇部の音響担当として楽しい日々を過ごしながら、両親の事務所を継ごうと司法書士の勉強も始めていた。震災の前年。手狭になった事務所の新築を2人が悩んでいると、正則さんはこう言って後押しした。

 「親子リレーしたるから、安心して」

     ◇

 95年1月17日朝。強い揺れで岡部さん夫婦は飛び起きた。「山崎断層か?」。震源は神戸・淡路だった。

 昼すぎ、2人は車に飛び乗った。国道2号を東へ。途中、白バイに「引き返せ」と命じられ、裏道に抜けた。道路は波打ち、倒れた電柱やブロック塀が進路をふさいだ。車を路肩に止めて歩いた。

 正則さんの下宿先に着いたのは18日午前1時ごろだった。1階は形もなく、2階が目の前にあった。周囲の家々も大半ががれきになり、物音一つしなかった。

 近くの避難所を回り、ハンドマイクを借りて叫んだ。「岡部正則はおりますか!」。男女3人が手を挙げた。高校時代の同級生だった。「正則君はどこかに避難していると思う。私たちも親と連絡ができない。新宮に連れて帰って」

 18日の朝が明け始めていた。震える3人を車に乗せ、中国自動車道を経由して新宮町に戻った。

     ◇

 「もう、あの頃には諦めていたかもしれません」。夫婦は当時の心境を振り返る。

 どこかで生きている。信じたいが、下宿先のがれきを見て「正則はここにいる」と直感した。

 金づち、のこぎり、スコップ…。ありったけの大工道具を車に積み、神戸に引き返した。だが、巨大な破壊の前で、小さな道具は何の役にも立たなかった。

 川崎市の消防隊と大阪府警の機動隊が通りかかり、救助を始めた。

 ガスの臭いが立ち込める中、チェーンソーの火花が散った。余震が続く。「このままでは二次災害が起きる」。撤退しようとする救助隊に、香津子さんは「お願い」と泣いてすがった。近所のおばちゃんが一喝した。「ここにおるんやから、がんばって!」

 何時間たったろう。体の一部が見えた。頭の上にあった大きな梁を分断し、手作業で土砂を取り除いた。毛布にくるまれて運び出されたのは19日の夜だった。

 正則さんを連れてすぐ新宮に帰りたかった。だが、「検視が必要です。安置所に行くように」と警察官に指示された。

 遺体安置所はどこもいっぱいだった。4カ所目の施設がやっと受け入れてくれた。線香も棺もなく、毛布にくるんだ正則さんを床に横たえたまま3日間、検視の順番を待った。

 22日、ようやく新宮に帰ることができた。「遺体を乗せています」。そう大書した紙を香津子さんは助手席で掲げた。その方が早く帰れると警察官に助言されたからだった。

 自宅に着く直前、正則さんが好きだった場所を巡った。新宮小、新宮中、そして新築したばかりの事務所。減速し、「もう最後やね」と語り掛けた。

     ◇

 震災から1カ月後、思いがけないプレゼントが届いた。

 教科書、服、CD。正則さんの遺品と思えるものは全てトラックに積んで持ち帰ったはずだった。

 「正則さんの彼女でした」。かわいい女性が自宅に持ってきてくれたのは、リボンの付いた小箱。がれきの下から見つけたという。

 2月4日は両親の結婚記念日。父親への初めてのプレゼントにと、2人で選んだ黒革の財布だった。「お母さんの分もこれから選ぶつもりでした」と女性は教えてくれた。

 「真面目一本に見えた正則に愛した人がいたなんて」。夫婦は涙が止まらなかった。

 克馬さんが包装を解いたのは10年後。今も大切に使っている。四隅の刺しゅうが少しだけ、ほどけてきたが、革はしっくりとなじんできた。

 持ち帰った遺品は箱に詰め、全て事務所の2階に置いた。何度か開けようとしたが、気持ちが激しく波打ち、涙があふれ出す。22年間、触ることも見ることもできなかった。

 昨年秋、事務所を閉めた。後継ぎはもういない。夫婦で決めた「定年」だった。遺品も事務所のスタッフに処分してもらった。きっと一生、見ることはできないだろう。自分たちの死後、誰かに迷惑を掛けないよう、踏ん切りを付けようと思った。

 香津子さんは2年前からハーモニカを始めた。練習を重ね、ちょっと上達したと思えたら、正則さんの遺影の前で演奏する。「ブカブカ」と濁った音が、ようやく澄んだ単音になってきた。

 「どう?」。心の中で語り掛ける。「うまいやん」。正則さんはたまにそう答えてくれるという。

 静かに一日一日が過ぎていく。23年が過ぎた朝も同じように。(木村信行)

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