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石見利勝市長(手前)を訪問した今吉孝夫さん(左端)ら=姫路市役所
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石見利勝市長(手前)を訪問した今吉孝夫さん(左端)ら=姫路市役所
旧加治木町の空襲について記された石柱=姫路市西延末
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旧加治木町の空襲について記された石柱=姫路市西延末

 第2次世界大戦で鹿児島県加治木町(現・姶良市)が米軍機の攻撃を受けた「加治木空襲」について、長年資料収集に取り組んできた同町出身の今吉孝夫さん(85)=さいたま市在住=がこのほど、空襲の記録が残る兵庫県姫路市西延末の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔を訪れた。当時通った旧制加治木中学校(現・加治木高校)で亡くなった15人の生徒に思いをはせ、「縁もゆかりもない土地で学友が供養されていることがうれしい」と目を細めた。(井沢泰斗)

 1945年8月11日、加治木中の1年生だった今吉さんは、校舎に隣接する神社の樹木に銃弾が突き刺さるのを目にした。その瞬間、爆音とともに戦闘機が頭上を飛び交い、激しい機銃掃射が始まった。校舎のあちこちから火が上がり、期末試験で登校していた生徒のうち15人が命を落としたという。今吉さんは防空壕へ避難して助かったが、「生きては帰れないと感じた」と振り返る。

 メーカー企業の駐在員として米国にいた約30年前、知人のつてで訪ねた米空軍の関係施設で偶然、母校を襲った空襲の写真を手にした。「『なぜこんなことを』という疑問と怒りが湧いてきた」。以降、独自に加治木空襲に関する資料や当時の同級生らの証言も集めて記録誌を作成した。

 慰霊塔について知ったのは、姫路のラジオ局FMゲンキのパーソナリティー田口秀幸さん(67)から取材を受けたのがきっかけ。慰霊塔の周囲には、建設費を寄付した全国113自治体の石柱が並び、各地の空襲の日付や回数、死者数などが記される。今吉さんは田口さんや当時の同級生の岩下正弘さん(85)=奈良県在住、柿本久喜さん(85)=芦屋市在住=とともに慰霊塔を訪れ、旧加治木町の石柱に手を合わせて学友の冥福を祈った。

 終戦後に慰霊塔を建てた当時の姫路市長石見元秀氏は、石見利勝・現市長の父。今吉さんらは市役所を訪問して石見市長に建立の経緯などを尋ね、記録誌も手渡した。

 今吉さんは「姫路に全国の民間戦死者を供養する施設があることすら知らなかった。慰霊塔を通して、若い世代に戦争の歴史を知ってもらいたい」と願った。

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