姫路

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ロシア兵捕虜の収容所として使われていた当時の善導寺。今回の調査で新たに判明した(寺前さん提供)
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ロシア兵捕虜の収容所として使われていた当時の善導寺。今回の調査で新たに判明した(寺前さん提供)

 日露戦争(1904~05年)で捕虜となったロシア兵らの収容所や関連施設が兵庫県姫路市内で新たに4カ所見つかり、計11カ所あったことが、NPO法人「姫路タウンマネージメント協会」の調査で分かった。研究者から提供された当時の新聞記事などから割り出した。同NPOは「収容所を観光資源として、今後のまちづくりに生かしていきたい」としている。(伊田雄馬)

 日露戦争では約7万人のロシア兵が旧日本軍の捕虜となった。全国29都市に収容所が設置され、同市には約2200人が収容されていたとされる。これまで船場、亀山の両本徳寺や播磨国総社など7カ所が知られていた。

 新たに確認できたのは、いずれも当時の同市坂田町にあった善導寺、心光寺、願入寺、妙円寺。妙円寺は捕虜の病室として使用されていたという。同町近辺に収容所が集中していたことは分かっていたが、史料には「阪田町支所」とだけ書かれ、具体的な名前は1カ所しかなかった。

 同NPOは姫路とロシア兵との関わりを地域活性化につなげようと昨年、ロシア兵が持ち込んだ赤ビーツを観光資源にする「姫路ビーツプロジェクト」を立ち上げた。昨年は10アールの農地で3トンを収穫し、今年も20アールに植え付けた。ビーツ栽培やレシピ開発と並行し、世話人の寺前高明さん(60)らは歴史的な関わりについても研究していた。

 報道でプロジェクトの存在を知った同志社大学嘱託講師桧山真一さん(69)=日露交渉史=は全国のロシア兵捕虜収容所について研究しており、同NPOに調査協力を依頼。当時の地方紙「神戸又新日報」の記事を提供した。

 同紙の1905年4月の紙面には「姫路俘虜転収に決す」(姫路のロシア兵捕虜を移転させる)という見出しの記事が掲載され、捕虜約1100人が収容所を移転することが記されていた。移転先の寺院のうち今回の4寺は未確認だった。

 また、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター(札幌市)が所蔵、公開する姫路の収容所の写真にも、撮られた場所がはっきりしないものが数枚あった。

 寺前さんは4寺の場所を調べ、同センターの写真を住職らに見せて、実際に捕虜が収容されていたことを確認した。

 姫路とロシア兵の関わりがより鮮明となり、寺前さんは「収容所の場所をまとめた地図を作るなどして、新たな観光名所に育てていきたい」と力を込める。

 未発見の収容所は全国に存在するといい、桧山さんは「当時のロシア兵で文字の読み書きができたのは将校だけで、文献の少なさが障壁。姫路の取り組みが各地に広がれば」と期待した。

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