姫路

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エネルギッシュに語る佐渡裕さん。「ホールができることは姫路の街に可能性を生み出す」=西宮市高松町(撮影・辰巳直之)
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エネルギッシュに語る佐渡裕さん。「ホールができることは姫路の街に可能性を生み出す」=西宮市高松町(撮影・辰巳直之)

■地元と歩む市民の広場に

 1995年の阪神・淡路大震災で被災した西宮市で2005年に誕生した兵庫県立芸術文化センター。芸術監督として地元の人々と音楽文化を創り上げてきたのが世界的指揮者の佐渡裕さんだ。国内外を飛び回り、ホールと都市との関係を間近に見てきた。その豊富な経験を踏まえ、「市民に関心を持ってもらえて広場になる。地元とともに歩むべき」と話す。(聞き手・宮本万里子)

 -2005年の芸術文化センター開館から13年。

 「開館前に芸術監督に就き、設計図の段階から関わることができた。例えば、設計者が大中小ホールの間に共通ロビーを設けようと発案した。ロビーに落語やオーケストラなど多様なポスターが貼ってあると、別の目的で来た人も『次は違うホールに行ってみよう』となる。センターをそんな空間にしたかったたので、名案だと推奨した。座席などホールの材質についてもこだわりを反映できた」

 -ホールづくりに関わる中で何を重んじたか。

 「オーケストラやオペラがホールの目玉。音響はもちろん重視した。観客が舞台を近く感じる造りにしてほしいとも注文した。一方でどんなに設備が良く、レベルの高い演奏を提供する場でも地元の人が興味を持たないと意味がない。『まちの広場』、心にビタミンを届ける場にしたかった」

 -そのためにどう動き、何を感じてきたか。

 「開館の約2年前から周辺の商店街などを回り、センターのことを知らせた。ホールを次世代につなげたいと小学校も訪ね、子どもたちと一緒に給食を食べ、授業をした。開館後は県内の中学生全員がセンターで舞台を鑑賞する事業が立ち上がり、いまも続く」

 「また、センターがある西宮市は地震の被災地。センターは復興のシンボルとしてできるが、地元の人がどう思うか不安だった。家を失い、ローンを抱える人もいた。『ホールを建てるならうちの家を直して』と言われたことも。やがて、何度も話す中でこんな言葉を聞くようになった。被災し、ガスや電気が復旧してほっとした、でも生きるってそれだけじゃなかった、コーヒーが飲みたい、風呂に入りたい、歌いたい、誰かと一緒に歌いたいって思ったと。オーケストラや合唱の原点と同じだ、そう思う人々がいるならここでやっていけると感じた」

 -運営の戦略をどう描いたか。

 「適切な料金設定や公演時間、活性化策を考えるため、関西の状況をよく知る人の力が必要だった。大阪のザ・シンフォニーホールで企画力を発揮していた(現芸文センターゼネラルマネージャーの)林(伸光)さんを招き、手腕を振るってもらった。県職員をはじめ、切符切りから幕を引く人までスタッフも一つになれた。専属オーケストラやキッズオーケストラもセンターを拠点に活動を広げた。ホールはみんなでつくるもの。関わる人全ての情熱が支えになった」

 -姫路に3年後、新ホールができる。まちにとってどんな存在になるべきか。

 「ベルリンやウイーンの劇場のすごさは、行きたいと思う人が多くいること。そういう場には、舞台に立つ人も特別感や誇りを持てる。姫路の新施設はまちに可能性を生む。敷居は低い方がいいが、なくしてはだめ。敷居をまたぎ、扉を開けて中に入る楽しみを与える仕掛けを工夫し、人々が感動を共有する喜びを感じられる場になってほしい」

【さど・ゆたか】1961年、京都市生まれ。京都市立芸術大卒。故レナード・バーンスタイン氏、小澤征爾氏らに師事。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など客演多数。15年からオーストリアを代表するトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督。

<記者の目>試される運営側の覚悟

 自ら動くことでスタッフや市民を一つにし、血の通ったホールを築いてきた。13年の過程を振り返る姿は手応えに満ちていた。同時に、相当な覚悟と努力を注いできたことも伝わった。

 新施設をまちの中でどう位置づけるのか。足を運ぶ観客、舞台に立つ演者の双方にとって存在感を生み、必要とされる場にするにはどうすればいいのか。運営に関わる全ての人々の本気度が試される。

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