姫路

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中村祐造さん
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中村祐造さん
中村祐造さんが立ち上げたバレーボール大会を引き継いだ弟芳文さん(中央右)と南克幸さん(中央左)=姫路市中地、姫路市立総合スポーツ会館
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中村祐造さんが立ち上げたバレーボール大会を引き継いだ弟芳文さん(中央右)と南克幸さん(中央左)=姫路市中地、姫路市立総合スポーツ会館

 1972年ミュンヘン五輪の金メダリストが古里兵庫県姫路市で創設したバレーボール大会が、弟や元チームメートの子息らに引き継がれ、このほど節目の10回目を迎えた。日本のバレーの黄金期に競技を始めた世代が還暦を迎えた今、シニア向けの大会に衣替えし、競技のすそ野を支える。(伊藤大介)

 同五輪男子バレーボールで優勝した日本代表主将の中村祐造さんは、同市書写出身。長身と恵まれた身体能力で姫路工業大付属高校(現姫路工業高校)で頭角を現した。「当時から頭一つ、二つ大きく、いじめっ子をやっつけるような正義漢だった」と3歳年下の芳文さん(74)は振り返る。

 祐造さんは闘志あふれるプレーで64年東京五輪銅メダル、ミュンヘン五輪では準決勝ブルガリア戦に途中出場し、逆転勝利に導いて金メダルを手にした。

 祐造さんはその後、男子日本代表監督や日本バレーボール協会理事を歴任した。郷里にも顔を出し、母校姫路工業高校を訪れて激励、2009年12月には体調不良を押して「中村祐造記念バレーボール交流大会in姫路」の開催にこぎ着けたが、翌年7月に視床出血で死去。晩年まで走り続けた生涯だった。

 「兄がつくった大会の灯を消したくない」-。大会を引き継いだのが芳文さんだった。兄の影響もあって競技を愛し、自身が理事長を務める県信用農業協同組合連合会(JA兵庫信連)主催として引き取った。自ら立ち上げに関わった同信連のバレー部員らとともに運営を担っている。

 会場には、ともに日の丸を背負った故南将之さんの長男克幸さん(48)も駆けつけた。克幸さんは父に続いて92年バルセロナ五輪に出場し、13年から義父の後を継いで「加藤海運」(神戸市中央区)の社長を務める。

 芳文さんとは仕事を通じて知り合い、互いの父と兄がチームメートだったと分かり、意気投合した。克幸さんは「バレーがつないだ縁に不思議なものを感じる」と話し、出場選手に助言を送る。

 祐造さんが築いた黄金期に競技を始めた世代が還暦を迎えている。「年を重ねた人たちが競う場が少ない」と芳文さんは昨年末の第10回大会から原則60歳以上を対象としたシニア向けの大会へ移行した。大会名は「生涯現役!JAバンク兵庫バレーボール大会」。生涯現役は兄のモットーでもあった。

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