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満州・豊栄(とよさか)訓練所での写真を手に当時を振り返る山下清市さん=福崎町
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満州・豊栄(とよさか)訓練所での写真を手に当時を振り返る山下清市さん=福崎町

 太平洋戦争末期、満蒙開拓青少年義勇軍に志願し、15歳で大陸に渡った兵庫県福崎町の山下清市さん(92)は、福崎西中学校(同町福田)で続けてきた体験の語り部を今年で退く。敗戦後、シベリアで約2年間抑留され、極寒と飢え、強制労働を耐え忍んで帰国した。あの時間はいったい何やったんや-。後悔が残る。終戦から74年。「今の若い子に同じ思いをさせたくない」。自身の経験が語り継がれることを願ってやまない。(井上太郎)

 山下さんは宍粟市山崎町の農家の三男で、高等小学校卒業時、義勇軍に志願した。満州北部の訓練所を経てハルビン北方に入植。「農地を10町歩もらえる」という教師の言葉を信じて来たが、周囲が次々と戦場にかり出される中、「どうせ兵隊に行くなら早い方がいい」と連隊に入った。

 終戦間際、ソ連が参戦した。敗戦後、満州南部の捕虜収容所で「トウキョウ、ダモイ(帰国)」と言われたが、列車は北上した。行き着いたのは天幕を張っただけの収容所。雪解け水を取りに鉄条網を出ただけの仲間があっさりと射殺された。

 1947年1月、より北の別の収容所に移ると、水道敷設の穴掘りをさせられた。零下30度にも達する極寒。土はコンクリートのように硬く、ツルハシの先はすぐに丸まる。ソ連兵の監督に「ヨッポイマーチ(ばか野郎)」とののしられた。目立つと別の収容所に送られるので、勤勉を装った。

 配給は主に雑穀のおかゆで、生のイワシがごちそうだ。食事の量は労働の成果によって増減した。「できない人が弱るだけ」と心配した日本人小隊長の意向で、多い食事と少ない食事を交代で回した。

 同7月、ついに帰国がかなった。出国許可を得るためマルクス主義を必死で勉強する一方、舞鶴に着くと進駐軍の前で共産主義に染まっていないことをアピールした。汽車での帰路、明石できれいな洋服を着た同年代の女性が乗ってきた。

 「終戦からもう2年たつんや」。軍服にリュックサック姿でしゃがむ自分は浦島太郎だと思った。

 その後、結婚して妻の実家がある福崎町で板金業を興し、息子に継いだ。日常の尊さをかみしめてきた半生は後悔がつきまとった。

 「満州を自分の国やと考えたこと自体が間違い。そういう風に教えられ、当然のように信じてしまった」

 語り部活動は終えるが、「戦争がどれほど理不尽なものか。若者たちがそれを記憶にとどめてくれていてほしい」と願う。

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