姫路

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地域の小中学校を巡り、姫路空襲の語り部として生の言葉を届けてきた黒田権大さん。「戦争には苦しみ、悲しみしかない」。講演は計300回を超えた=2019年9月、姫路市網干区、大津茂小学校
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地域の小中学校を巡り、姫路空襲の語り部として生の言葉を届けてきた黒田権大さん。「戦争には苦しみ、悲しみしかない」。講演は計300回を超えた=2019年9月、姫路市網干区、大津茂小学校
2度の空襲後、米軍が作成した姫路市街地の損害評価報告を基に色分け。黄が6月22日の焼失エリア、赤が7月3、4日、青は標的となった残りの市街地。緑は姫路城。実際は姫路駅南側など、より広範囲が焼けた(元画像は国立国会図書館デジタルコレクションより)
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2度の空襲後、米軍が作成した姫路市街地の損害評価報告を基に色分け。黄が6月22日の焼失エリア、赤が7月3、4日、青は標的となった残りの市街地。緑は姫路城。実際は姫路駅南側など、より広範囲が焼けた(元画像は国立国会図書館デジタルコレクションより)

 1945年7月の姫路空襲では「制御不能な大火」を起こすため、106機のB29爆撃機が姫路城下に定めた座標「113097」に照準を絞り、焼夷(しょうい)弾を集中投下した。米軍の損害評価報告書によると、この空襲だけで中心市街地の63・3%が焼失。空襲の語り部として活動する黒田権大さん(91)=兵庫県姫路市=に、今も鮮明に記憶する75年前の光景を聞いた。

 -駅のすぐ南にある自宅にいたんですね。

 最初に火の手が上がったのは姫路駅です。午後11時55分ごろやった。空襲警報と同時に自宅を飛び出したら駅に2発落ちて、周辺がぱあっと明るくなった。

 駅の東西や南もやられたけど、やっぱり重点は北。駅から北へ北へ広がる感じ。間もなく巨大な火に包まれた。たつのや福崎、家島でも見えたらしく、後で「姫路の空が真っ赤に燃えた」「巨大な花火みたいできれいやった」と言われました。でも、その場で見ている者は違う。怖い。炎がこっちへ来るんやないかという恐怖心です。

 -ご家族が犠牲になった。

 自宅の離れに住む寝たきりの祖母が避難を渋り、私は母の指示で裏の田んぼの溝に逃げ込んだ。シュッ、シュッと音をさせて焼夷弾が目の前の地面に突き刺さる。駅の方角を見ると、炎と火の粉、黒い煙が東西に広がっていくようでした。

 自宅まで延焼し、慌てて戻ったけど消火しきれない。離れはわら屋根やったからあっという間に焼け、祖母が亡くなりました。遺体を掘り出したのは午前3時ごろ。近所の男性とトタン板に乗せて墓まで運んでね。人の遺体は生まれて初めて。しかも親族ですから強烈な経験です。真っ黒で、遺体というよりは物体。すごいショックでね。やけどを負った祖父も亡くなりました。

 -町の焼け跡の様子は。

 お城と駅の間を「うちまち」と呼んだんですが、鉄筋の建物以外、9割は焼けたんとちゃいますか。その中で城が立つ姿にほっとしました。うちまちの家並みが一夜で消え、距離が近くなったように見えました。

 空襲直後の4日夕方、お城に向けて歩きました。両側の建物が焼け落ちて、道が狭くなっていてね。牛や馬が焼け死んだ臭い。熱気も残ってました。

 私が通う市立鷺城(ろじょう)中学は三の丸の西、今の千姫ぼたん園にありましたが、ほぼ全焼していた。落ちた焼夷弾は推定200本以上あり、わずかですが西の丸の中にもあったらしいです。城の建物が燃えたとしても不思議やなかったと思います。(小林良多)

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