姫路

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青い丸印が爆撃中心点、緑の区域が確率誤差円。「2047」と記された右側の白枠は、1945年6月22日に爆撃された川西航空機姫路製作所。元の図面から周囲を切り取り、一部を色分けした(国立国会図書館デジタルコレクションより)
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青い丸印が爆撃中心点、緑の区域が確率誤差円。「2047」と記された右側の白枠は、1945年6月22日に爆撃された川西航空機姫路製作所。元の図面から周囲を切り取り、一部を色分けした(国立国会図書館デジタルコレクションより)
姫路空襲を前に作成された広域版「リト・モザイク」。爆撃中心点の座標を示すため、縦横の各辺に152の目盛りが刻まれている(国立国会図書館デジタルコレクションより)
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姫路空襲を前に作成された広域版「リト・モザイク」。爆撃中心点の座標を示すため、縦横の各辺に152の目盛りが刻まれている(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 太平洋戦争末期の1945年7月3日深夜、兵庫県の姫路上空に現れた106機のB29爆撃機は大量の焼夷(しょうい)弾を投下した。市民ら173人が命を落とし、中心市街地が焦土と化す中、姫路城はその雄姿をとどめた。近年、膨大な米軍資料を読み解く作業が市井の研究家らによって進められ、空襲の実態を語る新たな手掛かりも明らかになっている。成果を紹介しながら“姫路城の奇跡”にあらためて迫りたい。(小林良多)

 「姫路空襲の中心点はここ。現在の二階町通りと大手前通りの交差点辺りです」

 7月11日、姫路市本町の日本城郭研究センター。姫路空襲をテーマにしたセミナーの中で一つの事実が明らかになった。

 講師を務めたのは「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の工藤洋三事務局長(70)=山口県。44年12月に米軍偵察機が撮影した航空写真を写し、そこに小さな丸印で示された「爆撃中心点」を紹介した。姫路城天守からの距離は、南へわずか850メートルほど。

 「攻撃を実行した106機のB29は全てこの一点に照準を合わせた。あえて同じ場所を狙うのは、制御不能な大火を生み、街を確実に焼き尽くすため」。工藤さんはそう説明すると、先の丸印を中心とするもう一つの円に目を移した。

 「爆撃には必ず誤差が生じる。実際の着弾は同心円状にばらけ、50%が半径1・2キロ圏内に収まるとの実証を(米軍は)得ていた。45年3月からの大都市空襲を経て、効率的に被害を最大化する焼夷空襲の理論が完成し、姫路でも実行されたのです」

 そう言って指し示した「確率誤差円」の中には、姫路城がすっぽりと入っていた。

 日本で太平洋戦争に関する米軍資料の研究が始まったのは約50年前だ。東京や大阪、神戸など空襲を受けた都市で市民による取り組みが活発化した。資料を管理する米国立公文書館などを訪ね、資料の原本や写真を探し出してコピーなどを持ち帰る地道な活動が積み重ねられた。

 マリアナ諸島を拠点にしたB29部隊の作戦任務報告書には、爆撃中心点を意味する「MPI」の文字とともに6桁の数字が記されていた。長年その意味は謎のままだったが、1990年代にようやく、ある図面の「座標」だと判明した。

 爆撃機搭乗員への指示に使われた図面「リト・モザイク」。そこには、縦横それぞれ152目盛りの座標が刻まれている。6桁の数字を3桁ずつに分け、縦と横の座標に当てはめると爆撃中心点が浮かび上がる。

 姫路空襲のリト・モザイクは、市街地の拡大版と広域版の2枚があった。米軍資料に書かれた座標「113097」は現在のどこに当たるのか。工藤さんが2枚を使って特定したのは今年に入ってからだった。

【姫路空襲】1945年に姫路市街地が焼き尽くされた2回の空襲。1回目は6月22日午前で、標的は姫路城東側の川西航空機姫路製作所。約60機のB29爆撃機が376トンの爆弾を落とし、341人が犠牲になった。2度目となった7月3日深夜~4日未明には、市街地へ767トンの焼夷(しょうい)弾を無差別に投下、173人が亡くなった。米軍の「作戦任務報告書」によると、2度の空襲で中心市街地の76.7%が壊滅した。

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