姫路

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母校に残る高田賢三さんのスケッチ。姫路中学・姫路西高校100周年の記念美術展に合わせて寄贈した=姫路西高校(撮影・小林良多)
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母校に残る高田賢三さんのスケッチ。姫路中学・姫路西高校100周年の記念美術展に合わせて寄贈した=姫路西高校(撮影・小林良多)
故郷でチャリティーパーティーを開き、会見する高田さん=2000年12月、姫路市内
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故郷でチャリティーパーティーを開き、会見する高田さん=2000年12月、姫路市内
姫路市制100周年に合わせて姫路城三の丸広場でファッションショーを開いた高田さん=1989年5月、姫路市本町
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姫路市制100周年に合わせて姫路城三の丸広場でファッションショーを開いた高田さん=1989年5月、姫路市本町

 兵庫・姫路が生んだ世界的服飾デザイナー高田賢三さんが4日、81歳で亡くなった。ファッション界で国際的な活躍を見せる一方、決して古里を忘れず、恩返しを惜しまない姿は大勢の心に刻み込まれた。「姫路の宝を失った」「憧れだった」。一夜明けた5日、ゆかりの人たちからは追悼の声が相次いだ。

 「ケンゾー」の名を市民が再認識したのは、姫路市制100周年事業「姫路百祭シロトピア」(1989年)だ。高田さんは姫路城三の丸広場で天守をバックにファッションショーを開催。市の担当課長として携わった岡本喜雅(よしまさ)さん(73)は「姫路の文化遺産を全国に発信するコンセプト。『モノは城』、『人は賢三さん』だった」と明かす。

 「一夜で名が広まり、広場が人であふれた。壮大なエンディング後、感動で立てないカップルが何組もいたのが忘れられない。姫路の宝を失い、本当にショック」と声を落とした。

 2000年には約40年ぶりに母校の姫路西高(同市北八代2)を訪れ、生徒有志らが企画したファッションショーに登場。人生の歩みや渡仏後の苦労などを話したという。

 当時3年生だった同校の熊谷洋介教諭(37)は「ハイセンスで都会的なオーラに圧倒されたのをよく覚えている。身一つで飛び出し、芸術の第一線で活躍する姿は憧れだった」と振り返った。松浦弘幹教頭(56)は「次に制服を見直すときには、賢三さんにデザインを頼みたいという声もあった」と残念がる。

 家族ぐるみの付き合いだった高校時代の同級生、柳谷義則さん(81)と妻の郁子さん(83)は約10年前、高田さんからパリに招かれ、夕食会も開いてくれた。「いつも穏やかで、功績を絶対に自分から話さない謙虚な人でした」と郁子さん。義則さんは「もう会えないという実感が湧いてこない」と静かに話した。

 清元秀泰市長は「姫路でもショーを開催され、最後まで古里を愛してくださった。市民を代表し心からご冥福をお祈りする」とコメントした。(井沢泰斗、安藤真子、地道優樹)

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