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「九龍古潭之図(くりゅうこたんのず)」紙本墨画淡彩 制作年不詳 姫路市立美術館蔵
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「九龍古潭之図(くりゅうこたんのず)」紙本墨画淡彩 制作年不詳 姫路市立美術館蔵
福田眉仙
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福田眉仙

 写生を重んじ、南画に新風を吹き込んだ兵庫県の相生出身の日本画家・福田眉仙(びせん)(1875~1963年)。その画業全体を見渡す大規模な展覧会が、兵庫県姫路市本町の市立美術館で開かれている。少年時代に古里の寺で描いたふすま絵から、代表作「富士五湖」や「支那三十図巻」に至る83点が一堂に会し、眉仙芸術の粋に迫る。(平松正子)

 幼時から絵を好んだ眉仙は12歳の頃、福田家の菩提(ぼだい)寺・光専寺に滞在していた画家宮田其渓(きけい)(1842~1902年)に手ほどきを受けた。数え年14歳で、同寺の内陣に見事なハスの絵を描くなど、早くから画才を発揮。今展では、その「蓮花図」や師・其渓の作品、後に師事する久保田米僊(べいせん)、橋本雅邦の絵も並べ、眉仙の作風の成り立ちをたどる。

 20歳を前に上京。「国民新聞」の報道画家だった米僊に弟子入りし、自らも同紙で働いた。その後、東京美術学校教授の雅邦門下となり、同校で学んだとみられるが、岡倉天心の退職に従って、日本美術院の設立に参加。美術院主催の展覧会に精力的に出品し、天心から中国行きを勧められる。

 10年近くかけて渡航費を蓄え、中国へ渡ったのは34歳のとき。そこで眉仙は、長江や黄河沿いの風景や三国志ゆかりの史跡、チベットの奥地にまで足を延ばし、スケッチした。これを基にした「支那三十図巻」の完成は、さらに10年後の1919年。会場では220メートルに及ぶ図巻とスケッチが合わせて見られ、写生に込めた眉仙の熱情が感じられる。

 40年に開催予定だった東京オリンピックに際しては、国立公園12カ所をそれぞれ六曲一双の屏風(びょうぶ)に描き、日本の名所を世界にアピールしようと計画。が、五輪の中止で作品は散逸してしまう。今回は、唯一現存が確認されている「富士五湖」について、戦後の47年に再制作された絵と、平成になって発見された36年の絵を見比べられる。両方を併せて公開するのは初という。

 高瀬晴之学芸員は「山水画などはパターン化しがちだが、眉仙は徹底した写生に基づき、岩肌の細かな表情まで描写している。中央画壇から離れ、また戦災で多くの作品が失われたこともあって、地方画家として扱われてきたが、近年は再評価の動きが出てきた」と話す。

 11月15日まで。月曜休館、27、28日は展示替えのため休室。一般800円。同館TEL079・222・2288

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