ひな人形 江戸後期-明治期の変遷たどる 日本玩具博物館で特別展
2021/02/17 21:00
明治中期の御殿飾り雛。家の権勢を誇るような豪華さだ=日本玩具博物館
お宅の雛(ひな)飾りは江戸派、それとも京阪派? 早春恒例の特別展「雛まつり~江戸と明治のお雛さま」が、兵庫県姫路市香寺町中仁野の日本玩具博物館で開かれている。500組を超す同館の雛人形コレクションから約40組を選んで展示。飾りの形態が整えられていく江戸後期-明治期に焦点を当て、京都生まれの人形たちが江戸の好みも取り入れつつ、受け継がれてきた流れを伝える。(平松正子)
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3月3日の桃の節句に雛人形を飾るようになったのは江戸前期という。当時は数対の立ち雛を毛せんの上に並べ、手に持って遊ぶのが主流。人形と併せて展示されている寛文年間(1661~73年)の絵図には、安産のお守りとされた犬筥(いぬばこ)や駕篭(かご)などの道具も描かれているが、まだまだ簡素なものだったようだ。
当初、人形作りを担ったのは京都の職人たち。享保(きょうほう)年間(1716~36年)に流行した「享保雛」は面長で切れ長の目、緋(ひ)色や常磐色の華やかな衣装を特徴とした。後の安永年間(72~81年)になると、目にガラスや水晶をはめた「古今雛」が江戸に登場。こちらは紫や茶色の渋い色調を好んで用いるなど、東西の違いが見てとれる。
飾り方でも、京阪地域では京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模した「御殿飾り」の中に内裏雛を飾る形式が流行。現在も一般的な「段飾り」は江戸で発展したもので、時代が下るほど段数が増えていった。また、江戸発祥の古今雛も、寛政年間(1789~1801年)には京阪でも作られるように。会場には江戸の人形師・玉翁(ぎょくおう)の名前が入った京阪製の古今雛も並ぶ。
明治期の展示で面白いのは、ミニチュアの井戸やかまど、器などの道具類。雛遊びを通して女児に家事を教える意味もあったらしい。また、明治天皇夫妻を内裏雛に見立てた掛け軸には、西郷隆盛や伊藤博文、福沢諭吉らしき人物がずらり。時代を映す鏡としての雛人形のありようもうかがえる。
学芸員の尾崎織女さんは「人形と道具が一式そろって売り出され、飾り方が画一化したのは大正中期以降。それまでは気に入った品々を一つずつ買っては並べ、手に持って遊ぶなど、家ごとに個性があった。皆さんも先入観にとらわれず、雛まつりを自由に楽しんでみては」と話す。
4月11日まで。水曜休み。一般600円。同館TEL079・232・4388