北播

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戦地で使われた将校の黒い軍服(手前)とドイツやフランスの影響を受けて制定された正装用の軍服=小野市立好古館
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戦地で使われた将校の黒い軍服(手前)とドイツやフランスの影響を受けて制定された正装用の軍服=小野市立好古館
小野藩士寺本家に伝わる火縄銃。飾磨県の刻印がある=小野市立好古館
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小野藩士寺本家に伝わる火縄銃。飾磨県の刻印がある=小野市立好古館
伊藤景治は兄に宛てた手紙で「ただ年齢を重ねてしまった。無用の長物とは自分のことだ」と嘆いた=小野市立好古館
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伊藤景治は兄に宛てた手紙で「ただ年齢を重ねてしまった。無用の長物とは自分のことだ」と嘆いた=小野市立好古館

 徴兵制度に翻弄された小野藩ゆかりの若者を紹介する企画展「幕末・明治の小野と軍隊」が、兵庫県小野市立好古館(同市西本町)で開かれている。20代の若者が激動の時代の戦乱に巻き込まれていった様子が、親族に宛てた手紙からうかがえる。

 同館は2005年から、神戸大大学院人文学研究科地域連携センターと協力し、小野藩家老を務めた伊藤家の古文書を共同で調査してきた。企画展では古文書や地図など40点が並ぶ。

 同館によると、幕末に訪れた外国船に対抗するため、江戸幕府は各藩に沿岸警備を命じた。藩に頼っていた正規軍の力を補うため、農民による鉄砲組も組織。小野藩の鉄砲組も大阪湾を警備し、姫路城包囲や加西郡百姓一揆の鎮圧などにも出動したとみられる。

 富国強兵を掲げる明治政府は、近代軍隊創設を徴兵制によって実現した。1873(明治6)年の徴兵令によって、小野藩の旧藩士と民衆も軍隊に。同藩家老格・伊藤家の伊藤景治(1853年生まれ)も入営し、天皇を警護する近衛兵となった。

 近衛砲兵大隊伍長だった景治は西南戦争後の78年、待遇に不満を持つ部下が皇居近くで起こした「竹橋事件」に巻き込まれた。日本初の兵士による反乱として55人が死刑となり、景治も制止できなかった責任を問われ、禁錮刑を受けた。

 27歳になった景治は小野の兄に宛てた80年の手紙で「6カ年も兵役のために貴重な時間を費やしたのに一事一芸を得ることができなかった」とし、「ただ年齢を重ねてしまった。無用の長物とは自分のことだ」と嘆いた。骨折で脚が不自由になり、除隊後の仕事のあてもなかったという。

 企画展では、4年弱の間に流通した飾磨県の刻印入り火縄銃や、徴兵を逃れるために住民が家出をした記録なども展示。軍備増強という大きなうねりが地方に押し寄せ、民衆を翻弄した様子がうかがえる。粕谷修一副館長(53)は「当時の若者が懸命に生きた姿を想像してほしい」と話す。

 6月23日まで。同9日午後1時半から展示説明会がある。同館TEL0794・63・3390

(笠原次郎)

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