北播

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娘に戦争の話をする乙訓和之さん。額に入った写真に写るのが輪助さん夫妻=丹波篠山市犬飼
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娘に戦争の話をする乙訓和之さん。額に入った写真に写るのが輪助さん夫妻=丹波篠山市犬飼
乙訓輪助さん。海軍時代に撮影したとみられる(乙訓和之さん提供)
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乙訓輪助さん。海軍時代に撮影したとみられる(乙訓和之さん提供)

 旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の実物大模型が6月9日、兵庫県加西市鶉野町の鶉野飛行場跡で初公開された。三田市立つつじが丘小学校の教頭乙訓和之さん(49)=丹波篠山市=は長女(7)と次女(5)と機体を見上げ、祖父、輪助さんのことを話していた。

 戦闘機「紫電改」を製造する川西航空機(現・新明和工業)のテストパイロットを務め、33年前に79歳で亡くなった。その輪助さんに言われた一言が脳裏に焼き付いて離れない。

 まだ、和之さんが幼稚園児だった頃、大阪府枚方市の自宅を訪ねた。普段は無口な輪助さんが紫電改のプラモデルを手に、にこにこしながら搭乗していた時のことを話していた。ひとしきり話し「だけど、人を殺す道具なんや」とつぶやいた。その表情が悲しそうだったのをよく覚えている。

 高校1年生の時、「やりたいことはあるんか」と聞かれた。「まだ若いんだからやりたいことをやれ。だめだったらやり直せばいい」と励まされたのが、輪助さんとの最後の会話になった。亡くなった後で、戦後は仕事を転々とし家族を養うなど思うように生きられなかった半生を知った。

 その後、大学を卒業し、中学校教諭に。平和教育には自然と力が入り、沖縄戦をテーマにした劇の台本を書いたり、生徒を防空壕に連れて行ったりした。「平和教育は五感で」が持論。戦争の話をする際は、輪助さんが悲しそうにつぶやいたことにも必ず触れた。

 鶉野平和祈念の碑苑保存会の理事、上谷昭夫さん(80)=高砂市=と出会ったのは、2016年8月のことだ。鶉野飛行場跡に関する展示が行われていた加西市の会場で、輪助さんの資料を見せてもらった。1944年春、輪助さんが紫電改の試験飛行中にプロペラが脱落し、不時着したことも詳しく分かった。

 祖父が体験した戦争を若い世代に伝えたい-。和之さんは翌年、鶉野飛行場跡周辺を訪ねた。上谷さんや当時を知る住民らに話を聞いてビデオで撮影。家族の記録として一つの作品にまとめた。和之さんの弟は「おじいちゃんの知らない一面を見た」と驚いた。

 公開された紫電改の模型は、迫力があった。2人の娘は「大きい」「きれいだね」と無邪気に見とれていた。最初はそれでいいと和之さんは言う。「戦争中も、もっと速く高く飛べる良いものを、と思って造っていたはず。その純粋な思いをないがしろにしてしまうのが戦争だ」と力を込める。

 技術の粋を集めた飛行機が人の命を奪う。その矛盾は、実際に模型があるからこそ、想像できると感じる。「だから、未来へ実物大模型を残す意味がある」。可能なら、児童や生徒にはコックピットに座って狭い感覚を体験してほしい。スマートフォンの画面では、分からないことがきっとある、と信じている。(森 信弘)=おわり=

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