北播

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5歳ごろの山田武夫さん(山田さん提供)
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5歳ごろの山田武夫さん(山田さん提供)
列車事故の際の様子などを話す山田武夫さん=神戸市中央区
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列車事故の際の様子などを話す山田武夫さん=神戸市中央区

 太平洋戦争末期の昭和20(1945)年3月31日、兵庫県加西市網引町の国鉄北条線(現北条鉄道)で列車が転覆・脱線し、12人が命を落とし、104人が負傷した。当時、列車に乗っていた山田武夫さん(81)=神戸市中央区=は事故やその後の人生を振り返って犠牲者の冥福を祈り、戦争への反対や憲法9条の守護を訴える。15日で終戦から75年。(小日向務)

 事故は網引駅(加西市網引町)の西方約300メートルの地点で起きた。鶉野飛行場から飛び立った戦闘機「紫電改」が試験飛行中に不時着。その際、線路がゆがみ、列車事故が起こった。

 山田さんは、空襲が激しくなる中、大阪市から母の実家のあった旧河合村(現小野市)に母やきょうだい3人とともに引っ越したばかりだった。事故に遭ったのは6歳のときで、加西市にあった母の弟の家に、母と2人で米などをもらいに行った帰りだった。「日持ちがするから」と、お焦げをたくさん、リュックサックに入れてもらったことを覚えている。

 北条町駅では、出征する2人を、大勢の人たちが送り出しており、満員の列車は予定を遅れて出発した。法華口駅を出発した後、低空で飛ぶ飛行機が見え、「米軍の艦載機か」「鶉野飛行場の航空機だろう」など車内は騒然とした。

 「ばりばり」という大きな音を聞いた次の記憶は、母に右腕を引っ張られ、列車の残骸から引き出されるところだった。機関車はあおむけとなり、客車は横転。近くに墜落した飛行機の周りでは兵士がわらを積んで隠していたようだった。

 けがは頭の小さな傷程度で、母親に連れられて救護所などによらず、そのまま徒歩で家路を急いだ。

 戦時中には、鎖でつながれた捕虜の姿を見て「同じ人間なのに」と理不尽さを感じた。今も事故で犠牲になった乗客らの冥福を祈り、「あのとき、北条町駅から出征した2人は無事終戦を迎えられたのか」とも気になる。

 半面、山田さんは国鉄(現JR)に勤務し、充実した人生を送ってきたと思う。日本の繁栄は戦争放棄などをうたった憲法9条のおかげと考える。外国の動きもあり、「難しいかもしれないが、9条を守る努力は続けるべきだ」と強く感じている。

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