家なし、道なし、行く先は雑木林…謎の踏切、何のため設置? 小野の神鉄粟生線
2021/10/09 05:30
現在の大谷踏切道。県道(左)の反対側には草木が生い茂る=小野市樫山町
兵庫県小野市樫山町の県道沿い。神戸電鉄粟生線大村-樫山間で、異様な雰囲気の踏切がある。周囲に民家はなく、踏切を渡った先には雑木林が生い茂り、道らしきものは見えない。車も通行できないようになっている。一体、何のために設置されたのだろう。利用者が限りなくゼロに近い踏切の謎をひもといた。(杉山雅崇)
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神鉄によると、正式名称は「大谷踏切道」。樫山駅から南東1・5キロにあり、同県三木市と小野市を結ぶ県道沿いにあり、粟生線を北側に向かって横断している。双方の遮断機前には車止めがあり、自動車の進入は不可能だ。
県道側から歩いて渡ってみた。膝まで伸びた草をかき分けて歩くと、舗装された地面が表れた。木の葉やアケビの実などが積み重なり、日常的に人が通行している形跡はない。獣道と化した道を東に進むと山陽自動車道の側道に出たが、周囲に民家や施設は見当たらない。西に向かう道は草木が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、軽装で進むことはできなかった。
周囲を探索しても謎は深まるばかりだった。
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神戸電鉄によると、粟生線三木-小野間が開通した1951(昭和26)年に大谷踏切がつくられた記録が残っている。ただ、設置の経緯は不明という。
手がかりとなりそうなのは、踏切すぐ横にある神姫バスのバス停だ。名称は「榊」。約1キロ北東にある小野市榊町と同名だ。
榊町の集落で話を聞いて回る。答えはすぐに分かった。住民たちは口をそろえる。「昔はあの踏切を渡って、最寄りのバス停まで行っていたんだよ」
住民によると、榊集落を南北に縦貫する市道が開通する以前、最寄りは榊バス停だったという。集落から延びる旧道はバス停の反対側まで延びており、住民たちが踏切を行き来してバスを利用していた。
だが、昭和30~40年代ごろ、榊町と樫山地区を結ぶ幹線道路が開通すると、集落のすぐそばまでバスが来るようになり、榊バス停の利用者はなくなった。踏切の利用者も減少し、いつしか草木に覆われるようになったという。踏切は役目を終えたが、神戸電鉄は「今のところ廃止予定はないが、行政などとの協議は続けたい」としている。
電車が来る度に、誰も渡らない踏切は遮断機を下ろす。地元の児童たちも登下校で行き交ったというかつての姿を思い浮かべながら、草むす踏切を後にした。