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阪神・淡路大震災時、体育館は被災者でいっぱいになった=1995年1月22日、神戸市内の小学校
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 阪神・淡路大震災では、認知症の人や家族が自宅にとどまったり、避難所で症状を悪化させたりした例もあった。認知症の人はこの20年あまりで急激に増えており、2025年には700万人を超えるとされる。東日本大震災や熊本地震でもクローズアップされる中、災害が起きたとき、本人や家族、支援者はどう対応すればいいのか。被災者の経験などを基に、2回にわたり紹介する。

■排せつトラブル、徘徊など顕著に

 認知症介護研究・研修仙台センター(仙台市)は東日本後の12年12月、岩手、宮城、福島の被災3県で介護事業者や行政担当者らにアンケートを実施。514件の回答を得た。

 認知症の人が避難所で何日目まで生活できるか限界を聞いたところ、平均で3・11日だった。「1日目」という答えも21%に上った。初日から排せつに関わる問題が生じ、3日目までに興奮状態や大声を出すなどの「不穏」や徘徊(はいかい)も顕著になり、周囲の苦情や家族の疲弊も際立ってくることが分かった。

 阪神・淡路の発生2週間後から、神戸市長田区で支援にあたった認知症介護研究・研修東京センター研究部長の永田久美子さん(56)は「認知症の人は、環境の急激な変化に弱い。見知らぬ人に囲まれた狭いスペースや、何もすることがない状態でストレスを抱え、症状が急速に悪化しがち」と指摘する。

 認知症のため、22年前も、避難を呼び掛ける広報車が回っているのに状況が理解できず、倒壊の恐れがある家屋に一人で残っている人や、避難所に行ったものの不安で自宅に戻る人、アパートの玄関ドア越しに「私はここにおります」と拒絶する人もいた。本人を抱えて身動きが取れずにいる家族も少なくなかったという。

 熊本など各地で災害が相次ぐが、永田さんは「今後認知症の人は増えていく。避難訓練や、避難所開設訓練などでの取り組みが求められるほか、認知症の特徴を理解し、小さな気配りをすることで、本人も家族も助かるのでは」としている。(広畑千春)

■専用スペースでのケア必要

 「避難所に行こうかとも考えたが、お母さんを受け入れてくれるところはないと思った」

 「認知症の人と家族の会兵庫県支部」の世話人代表、河西美保さん(65)=神戸市中央区=は、阪神・淡路の発生時、アルツハイマー型認知症の実母=当時(71)=を、自宅で介護していた。

 母親は一人で家を出て徘徊することが多く、排せつのトラブルや物忘れのほか、洗濯ばさみなど食べ物でないものを口に入れてしまう「異食」も目立っていた。

 母親と夫、中学1年の長女と小学5年の長男とともに、一部損壊した11階建てマンションの6階にとどまった。けがはなかったが、テレビは割れ、食器棚が倒れた部屋で、夕方になると心細くて仕方がなかったという。大きな余震があるたび、母親を抱き締めた。

 母親が一人で家から出ないよう注意し、排せつトラブルにも追われた。断水のため、水をくみに行くにも、母親と一緒は難しく、子どもに母親を見守ってもらう間に、急いで行った。孤軍奮闘していたとき、家族の会のメンバーから「大丈夫? 手伝えることはないかな」と電話が入った。涙が出た。

 発生から2週間ほどたち、母親が約半年前まで住んでいた加古川市の窓口に相談に行った。特別養護老人ホームを紹介してもらい、母親は2週間、無料でショートステイを利用できることになった。

 「精神的に疲れて限界だったので、本当に助けられた」と河西さん。その間に、震災後の片付けもできた。

 それから22年。認知症への理解は進んだと思うが、「今でも、避難所に行くのをためらう家族はいるだろうし、老老介護なら自宅から動けない人もいるはず」と河西さん。

 「認知症の人は初めての場所で混乱することがあるので、避難所に専用のスペースがあれば助かる。排せつも手が掛かるから、スペースは別にしてほしい」。さらに「認知症の家族の介護をしていることを普段から周囲に伝えておいて、地域のつながりをつくっておくことが大事」と話す。(中島摩子)

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