医療

医療ニュース
  • 印刷
1階ロビーにあふれる入院患者ら=1995年1月19日午後、神戸市灘区神ノ木通4、金沢病院
拡大
1階ロビーにあふれる入院患者ら=1995年1月19日午後、神戸市灘区神ノ木通4、金沢病院
震災を振り返る長野正憲医師=淡路市志筑、長野整形外科
拡大
震災を振り返る長野正憲医師=淡路市志筑、長野整形外科
「災害医療の原点を振り返りたい」と語る鵜飼卓医師=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県災害医療センター
拡大
「災害医療の原点を振り返りたい」と語る鵜飼卓医師=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県災害医療センター

 阪神・淡路大震災直後に被災者の治療に奮闘した医師7人が当時の記憶や教訓などを語るシンポジウム「1・17私たちは忘れない-医師たちのあの日の証言」が14日、大阪市内で開かれる。災害医療の原点ともいわれる震災から、間もなく23年。主催する大阪府大規模災害リハビリテーション支援研究会は「遠くなりつつある震災、あの時の現場を生の言葉で伝えたい」と広く一般市民にも参加を呼び掛けている。(山路 進)

 阪神・淡路の被災地では多くの医療機関が機能を失った。十分な医療を受けられていれば「防ぎ得た災害死」は500人を超えたともいわれる。あれから20年余りが過ぎ、医療現場でも記憶の風化を指摘する声は少なくない。

 登壇するのは、金沢病院(神戸市灘区)の整形外科医だった長野正憲さん(54)=淡路市・長野整形外科院長=や、大阪市立総合医療センター救命救急センター所長だった鵜飼卓(たかし)さん(79)=兵庫県災害医療センター顧問=ら、震災当時に神戸や淡路などの病院で勤務していた7人。

 長野さんがいた金沢病院には震災直後、負傷者や避難者が押し寄せたが、病院自体も被災し電気や水道は途絶え、電話も断線。傷口から折れた骨が見えている負傷者にも、生理食塩水で洗って縫合するぐらいの処置しかできず、長野さんは「何もかも混乱していたが、やるしかなかった。まさに野戦病院だった」と振り返る。

 同病院では震災当日に7人の医師で計1033人もの患者を診察した。震災2日後には鵜飼さんからの患者受け入れの意思が消防を通じて届けられ、当時“想定外”だった重症患者の県外搬送が実現した。その闘いは、震災を機に発足した災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員養成テキストにも刻まれている。

 震災当時、芦屋市の伊藤病院(現南芦屋浜病院)で被災者の治療に従事した同研究会会長の冨岡正雄さん(54)=大阪医科大准教授=も「医師を目指す学生の関心も薄れているように感じる」と危機感を抱く。「災害は誰にとっても人ごとではない。あの時の教訓を見つめ直す時期に来ている」と訴えている。

■14日 大阪でシンポジウム■

 シンポジウムは大阪コロナホテル(大阪市東淀川区西淡路1)で14日午後1~5時。入場料500円。希望者はメール(saigaireh.leader2014@gmail.com)で申し込む。先着90人。大阪医科大リハビリテーション医学教室TEL072・683・1221(月、水、金曜午前9時半~午後4時)

医療ニュースの新着写真
医療ニュースの最新
もっと見る

天気(1月23日)

  • 8℃
  • 3℃
  • 20%

  • 6℃
  • 0℃
  • 70%

  • 8℃
  • 3℃
  • 20%

  • 7℃
  • 1℃
  • 20%

お知らせ