視覚回復信じ、こつこつ挑戦 万代氏、夢実現へ一歩

2019/12/10 05:00

「うまくいかないのが当たり前」という気持ちで実験を続けたという万代道子理研副プロジェクトリーダー=神戸市中央区、理研生命機能科学研究センター(撮影・中西幸大)

 「見えない人が、見えるようになれば」。眼科医になりたての頃抱いた思いが、実現に一歩近づいた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)による視細胞移植の臨床試験を申請した神戸アイセンター病院の非常勤医師、万代道子理化学研究所副プロジェクトリーダー(56)。その“石橋をたたいて渡る”慎重な研究姿勢から、周囲の信頼も厚い。 関連ニュース iPS細胞移植で失明回復の可能性 世界初の臨床研究へ 世界初、iPS細胞でミニ多臓器 肝臓、胆管、膵臓が連結 オキシドールで乳がん治療 1回数百円

 万代氏は、京都府長岡京市出身で、京阪神で育った。小学生のころは宇宙が好きで天文学者を目指し、神戸女学院中学・高校では文芸部で小説を書いたことも。京都大医学部に入学後、「細かい手術が多く、女性にも取っつきやすそう」と眼科の扉をたたいた。
 京都大病院の研修医だった1989年、米国の学会で、胎児網膜の移植研究に触れた。「見えたらすごい」と強く印象に残った。しかしその後、自分が同様の研究に携わるとは夢にも思わなかった。臨床医になったが、1年で大学に戻り研究を始めた。「治らない病気がたくさんあるのに、一人の医師が診断して治療法にたどり着くのは限界がある」と思ったからだ。
 長くコンビを組む高橋政代・元理研プロジェクトリーダーに声を掛けられたのは、米国の研究所で客員研究員をしていた時だった。以来研さんを積み、今では高橋氏のグループで中心的な役割を担うようになった。
 2004年ごろ、視細胞移植に向けた研究を始めた。当初は胚性幹細胞(ES細胞)の活用を想定していたが、移植に十分な量が確保できない時期が続いた。12年ごろにはiPS細胞も使い始めた。思うような結果が出ず、気持ちが折れそうになったこともあった。
 最も苦労したのは、移植したiPS細胞など由来の視細胞が、動物の元々の細胞と情報伝達構造(シナプス)を作っていると証明すること。光に反応しているのは分かっても、それが本当に移植した細胞による反応か分からなかった。あらゆる別の可能性を消すのに時間をかけ、安全性も慎重に検討。高橋氏が「もういいだろう」と言っても確認をやめなかったという。
 研究開始から15年、ようやく臨床試験の申請に至った。「でも再生医療はまだまだこれから」。夢は大きく、一歩一歩は慎重に。失明からの視覚回復へ、挑戦は続く。(霍見真一郎)

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ