ひょうご経済プラスTOP 経済 兵庫発EV、戦後を快走 たつの・帝国電機が生産

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兵庫発EV、戦後を快走 たつの・帝国電機が生産

2017.10.28
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EV生産の歴史を振り返る帝国電機製作所の宮地國雄社長。キャンドモーターポンプ(左奥)が現在の主力製品だ=たつの市新宮町平野

EV生産の歴史を振り返る帝国電機製作所の宮地國雄社長。キャンドモーターポンプ(左奥)が現在の主力製品だ=たつの市新宮町平野

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

戦後間もない時期に帝国電機製作所が生産した電気自動車(同社提供)

 「次世代エコカー」の主役と目され、世界で開発競争が過熱する電気自動車(EV)だが、実は戦後間もない時期に国内で生産ブームが巻き起こっていた。当時、兵庫県内で開発・生産にまい進した企業が、特殊ポンプで世界的なシェアを誇る帝国電機製作所(たつの市)だ。「作れば売れる」(同社社史)というほどの人気はなぜ生まれ、その後一転して消えたのか。同社に残された記録をたどった。(長尾亮太)

 「とにかく面白いほどよく売れた」。同社のEV生産が最盛期を迎えたのは1947~48年ごろ。月間生産台数は30台前後に上り、その好調さについて当時の幹部は社史でこう振り返っている。

 1回の充電で走れる距離は50キロほど。現在の最新EVの約400キロと比べると劣るが、それでも当時、箱根(神奈川県)の坂で開かれた国のテストでは優秀さが認められた。

 国内企業をEV開発に向かわせた理由は、戦時中から続くガソリン不足。民間では木炭自動車が使われたが、馬力がなく、エンジン始動に時間がかかるなど課題があった。そのためEV開発が奨励され、鉄道信号機メーカーだった同社にも開発の打診が舞い込んだ。

 「社運を賭した大事業」(社史)に乗り出した同社は戦中に解雇した従業員を呼び戻し、プロジェクトチームを発足。小型で軽く、高性能の蓄電池開発などに挑んだ。街中で同社製EVがさっそうと走り、社員らは誇らしく感じたという。

 転機は増産態勢を整えた直後の49年。連合国軍総司令部(GHQ)によって原油輸入が解禁され、太平洋岸の製油所の操業が許可されたのだ。主流は性能で勝るガソリン車に移り、同社の工場は在庫であふれた。

 倒産を免れるため、幹部らは資金繰りに奔走し、社員を再び削減した。在庫の活用のためタクシー事業に乗り出し、西播磨各地に営業所を開設。しかし軌道に乗らず、52年には在庫を全てスクラップにして、タクシー営業権も手放した。

 その後、さまざまな製品の下請けをしながら主力となる製品を模索し、たどり着いたのがポンプとモーターを一体化させたキャンドモーターポンプ。液体を漏らさないよう技術力の問われる製品で、世界の石油化学プラントなどで欠かせない存在になっている。

 現在、EV「リーフ」を生産する日産自動車によると、EVは1873年に英国で初めて完成。85年のガソリン車の完成より早かった。終戦直後の日本では、後に同社と合併するプリンス自動車の前身、東京電気自動車が手掛けた「たま電気自動車」もその一つとして知られる。

 地球温暖化問題を受け、英仏両政府がガソリン車とディーゼル車の販売禁止方針を打ち出すなどEVへの注目が高まる。数年前には帝国電機の歴史を知った国内自動車メーカーから「資料を参考にさせてほしい」との要望があったといい、宮地國雄社長(72)は「EV開発を続けていたら、トヨタを超える世界的な自動車会社になっていたかも」と冗談交じりに話した。