ひょうご経済プラスTOP 経済 「自分の身どう守るのかが大切」2つの大震災経験 住友ゴムの社員

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「自分の身どう守るのかが大切」2つの大震災経験 住友ゴムの社員

2019.01.16
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震災の体験を語る松井俊哉さん(左)と平井修一さん=福島県白河市(住友ゴム工業提供)

震災の体験を語る松井俊哉さん(左)と平井修一さん=福島県白河市(住友ゴム工業提供)

阪神・淡路大震災で真っ二つに折れた住友ゴム工業神戸工場の煙突=1995年、神戸市中央区筒井町(住友ゴム工業提供)

阪神・淡路大震災で真っ二つに折れた住友ゴム工業神戸工場の煙突=1995年、神戸市中央区筒井町(住友ゴム工業提供)

 阪神・淡路大震災と東日本大震災で工場が被災したタイヤ大手の住友ゴム工業(神戸市中央区)。阪神・淡路では神戸工場(同)が閉鎖に追い込まれ、神戸から240人が配置転換された白河工場(福島県)も東日本で一時、生産停止を余儀なくされた。両工場で震災を経験した社員らは、備えの大切さをかみしめ職務に当たる。(大島光貴)

 「爆発かと思った」。1995年1月17日午前5時46分。神戸工場で二輪車用タイヤの成型中だった松井俊哉さん(54)=兵庫県伊丹市出身=はその時を振り返る。

 ドスンという揺れを感じ、停電で辺りは真っ暗に。材料が散乱する床を歩き、2階から非常階段で避難した。屋外に出ると、無残に崩れた建屋が目に入った。シンボルだった高さ約50メートルの大煙突も折れていた。

 同年3月に白河工場へ。2009年、従業員の安全などを守る保安班に配属された。松井さんは「避難する立場から避難させる立場になった」と話す。避難訓練に加え、消火器使用や心肺蘇生法の講習を実施。保安班としても月に2、3回は火災や負傷者発生を想定した訓練に取り組む。

 11年の東日本では円滑に避難できた。その後も「2度あることは3度ある」との意識を持ち続ける。

 一方、神戸工場で設備保全の担当だった平田修一さん(52)=神戸市垂水区出身=は阪神・淡路の直後、生産設備の搬出などに追われた。「必死だった。あきらめの気持ちはなかった」と話す。

 東日本では、工場内の照明を早くともそうと、数百個の壊れた蛍光灯を取り換えた。明かりが戻ると、「もう一度命を吹き込むことで、工場に活気を取り戻せる」と確信できた。

 2度の震災を経て「自分の身をどう守るのかが大切」と考えるようになった。白河工場には2つの大震災を経験した従業員が25人おり、後輩たちに教訓を伝えている。