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評伝 藤浪芳子さん死去 主婦から社長、そして世界へ

2021.04.12
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2009年、本社工場で夢を語る藤浪芳子さん。語学力を生かして取引先を海外にも広げた=神戸市西区高塚台6、昭和精機

2009年、本社工場で夢を語る藤浪芳子さん。語学力を生かして取引先を海外にも広げた=神戸市西区高塚台6、昭和精機

 2010年、藤浪芳子さんの半生を記事にしたところ、読者から「なぜ女性の恥をさらすのか」と抗議を受けた。それだけ、昭和精機(神戸市西区)の社長になる経緯は衝撃的だった。

 専業主婦をしていた34歳のとき、父親が起こした同社の実質経営者であった夫が家を出て行った。8歳の娘と4歳の息子を抱え、ぼうぜん自失となった。大混乱に陥った会社を継いだのは、何より子どもを守るため。夫への意地もあったに違いない。

 そこからの努力はすさまじい。幹部社員が次々辞める中、機械の仕組みや経理を猛勉強した。「今死ねば楽になると思っては、われに返るの繰り返し」という時期を経て、下請けの町工場を国内外の企業と取引する自社開発メーカーに脱皮させた。

 「やるしかない」と追い込まれたのが、経営者としての藤浪さんの原点だ。だから、ぼかして書きたくなかった。記事への抗議があったと伝えると、ふっと真顔になった。「私も恥だと思っていた。でも自分が歩んできた道に悔いはない。これで胸を張れる」

 一企業経営者にとどまらず、いくつもの経済団体のトップを務めた。14年には女性経営者が集まる全国商工会議所女性会連合会の全国大会を神戸に誘致した。約1500人の「同士」を前に、実行委員長として女性が社会で力を発揮することの大切さを訴えた。

 圧倒的に男性が多い製造業で、神戸市機械金属工業会の会長にも就いた。15年、長男の智二氏に社長を任せてからは、ライフワークである次世代の女性育成に軸足を移しつつあった。「チャレンジする若者の背中を押したい。それが私たちの世代の責務」と熱っぽく語っていたのが忘れられない。

 つい最近まで「やりたいことがたくさんある」と語っていたと聞いた。教えを請いたいと願い、病からの復活を祈っていた女性は多いが、かなわなくなってしまった。

(論説委員 小林由佳)