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神戸市電の写真集を見ながら、昔話に花を咲かせる(左から)石上晃正さん、坂井宗一さん=神戸市交通局
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神戸市電の写真集を見ながら、昔話に花を咲かせる(左から)石上晃正さん、坂井宗一さん=神戸市交通局
石上さん、坂井さんが運転士をしていたころの神戸市電(神戸市交通局提供)
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石上さん、坂井さんが運転士をしていたころの神戸市電(神戸市交通局提供)
神戸新聞NEXT
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 神戸市営交通は8月1日、100周年を迎える。1917(大正6)年、前身の神戸電気鉄道から市電事業を継承し、現在はバス、地下鉄を営業。市電は自家用車の普及などに伴い、71年に全線廃止された。市電で車掌や運転士を務めた神戸市在住の男性2人に、当時の思い出話を聞いた。(上杉順子)

 灘区の石上晃正さん(86)と東灘区の坂井宗一さん(86)。石上さんは49年、坂井さんは51年に同市交通局に入り、全線廃止まで市電部門に所属した。

 入局当時の市電は、緑とベージュのツートンカラーの車体、向きを変えられる「転換クロスシート」を採用したロマンスカーなど、数々のハイカラな取り組みで「東洋一」とたたえられていた。「車体が六甲山に映えて格好良かった」と坂井さん。国鉄職員から転身した石上さんも「イメージが良かった」と振り返る。

 最初の数年は車掌。52年ごろまではパンタグラフがなく、交差点に差し掛かると、電気を引き込むためのポールを架線に付け直すのも重要な任務だった。「雨の日や夜は架線が見えにくい。失敗すると放電して明るさで目がくらむ」。よく運転士に「早くしろ」と怒られたという。

 晴れて運転士になると、乗客の命を預かる責任がのしかかった。1両に多くて80~100人ほどが乗るが「乗車人数や天候でブレーキの利きが違う。自動車よりずっと(運転が)難しかった」。意外な“敵”も。大倉山から湊川神社方面へ向かう軌道は下り坂で、落葉の季節にはイチョウの葉が大量にへばりつきスリップする。中央市場付近も魚の脂で滑る難所だったという。

 天災の際は、運行エリアを補完し合う市営バスの助けを借りたことも。1967年7月の豪雨で宇治川があふれ、西元町の三越前で市電が立ち往生したときは、車高が高いバスに乗客らを乗せ替え、事なきを得た。

 おおらかな時代でもあった。「お年寄りが待ってーって叫んでいたら、やっぱり待つよね」。運行には運転士の性格が如実に出たといい、「対応が丁寧な人が運転する車両の後ろには3、4台がだんごになることもあり、『連合艦隊司令長官だ』と冗談で言っていた」。半面、せっかちな人は予定より数分早く帰ってくることもあった。

 時速は最高45キロ程度。通常は30キロほどで運転した。自動車が増え、軌道内への進入が認められると接触事故が多発。「市電は遅いから邪魔」と言われ、悲しい思いもしたという。

 時代に合わなくなった市電は1971年3月13日、最後の日を迎えた。2人は運転士から事務方になっていた。石上さんは最後の車両がそごう前を出発するのを見守り、坂井さんはその車両が和田岬の車庫に入るまでパトロールカーで先導した。「感慨深かったね」。6年後の同じ日に地下鉄が営業を開始すると、石上さんは名谷-新長田駅の駅務区長に、坂井さんは名谷駅長に就任した。

 市電時代はどうでしたか-。そう問うと2人は「青春だったな、楽しかった」と笑った。

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