神戸

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北野クラブで開催された創立60周年パーティー。往事のナイトクラブをダンサーたちが再現した=2月25日、神戸市中央区
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北野クラブで開催された創立60周年パーティー。往事のナイトクラブをダンサーたちが再現した=2月25日、神戸市中央区
夜景を見ながら食事を楽しむカップルたち。パノラマビューは変わらない=北野クラブ
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夜景を見ながら食事を楽しむカップルたち。パノラマビューは変わらない=北野クラブ
浅木トミコさん
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浅木トミコさん

 夜になって降り始めた雨がそれほど冷たくなく、近づく春を感じさせた2月25日。昼間は観光客でにぎわった異人館街の東の外れ、急勾配の坂を上がった先にあるレストラン「北野クラブ」で盛大なパーティーが開かれていた。

 「設立60周年、おめでとう!!」。着飾った招待客がシャンパングラスを合わせてほほ笑む。窓の外には神戸の夜景。高層建築の出現で眺望は変化したが、見晴らしの良さは変わらない。市街地との近さから「手に届く夜景」とも評される。

 この店を開いたのは浅木(あさき)トミコ(1918~2001年)。戦争で夫を亡くし、幼い息子を育てながら、北野クラブやブティック、免税店の経営に成功。戦後の好景気に沸く神戸で「関西の女傑」とうたわれた。一貫して富裕層向けのビジネスを手掛け、神戸に大人の社交場をつくり上げた。

     ◆

 トミコは神戸出身。幼い頃に父を亡くして大阪・船場の商家の養女になり、女学校に通わせてもらうなど大事に育てられた。商売のいろはも同時に教わったようで、息子の幸雄(さちお)(76)と妻の隆子は「時代の先を読む力、上質な物を見抜く力が、ずぬけていた」と話す。

 最初の結婚生活は短く、幸雄をもうけた後、夫は太平洋戦争で戦死。戦後は神戸に戻って実母、幸雄と北野に住み、神戸証券取引所の秘書として働き始めたという。同取引所の外観は現在の旧居留地・朝日ビルに受け継がれている。

 その後、飲食業に転身。バーや喫茶経営に手応えを感じたトミコは1957(昭和32)年12月、見晴らしの良さが気に入っていた自宅洋館の庭に、ナイトクラブとレストランを兼ねた「北野クラブ」を建てる。異人館街が77(同52)年放送のNHKドラマ「風見鶏」の舞台となって注目が集まる、はるか以前。北野に点在する洋館は観光資源とまだ認識されず、三宮からも距離がある。大規模な飲食店としては異色の立地と言えた。

 しかし、時は高度経済成長期。神戸は造船業や船旅で来日した富裕な外国人が多く、彼らは「KOBE一望」のパノラマビューに歓喜した。また、会社の経費で遊興する「社用族」という言葉が盛んに使われ、接待文化が華やかな時代であったことも味方した。

 1、2階は吹き抜けで、両階に生バンドを配置。2階のレストランで食事を楽しんだ後、1階のナイトクラブでダンスを楽しむ欧米流のスタイルが、日本でも受け入れられた。

 車で乗り付けるしかない場所も逆に店の格を高めたが、手前のカーブがきつく、車が上がれないことも。そんな時、トミコは歩いてくる客にいち早く気付き、ずっと見守っていたという。「ワンマンなようでいてハートのある人でした」。そう、幸雄は懐かしむ。

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 トミコが生まれたのは今からちょうど100年前。彼女の82年の生涯を、北野の街の変遷とともにたどってみたい。(敬称略)

(上杉順子)

 【北野クラブ】1957年12月、神戸の市街地を一望できる中央区北野町1にレストラン兼ナイトクラブとして開業。70年代半ばにレストランに一本化した。クラブのステージでは有名歌手らのライブが開かれ、石原裕次郎や高島忠夫・寿美花代夫妻、ショーン・コネリー、グレース・ケリーらも訪れた。画家の小磯良平、作家の宮本輝、陳舜臣も常連だった。

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