神戸

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左上が昔の北野クラブのシンボルマーク。トミコと幸雄がともに午年であることから、馬蹄形を2つ重ねた
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左上が昔の北野クラブのシンボルマーク。トミコと幸雄がともに午年であることから、馬蹄形を2つ重ねた
ライブに招いたフランスのシャンソン歌手イベット・ジローさんと北野クラブ前で記念撮影する浅木トミコさん(1960年ごろ撮影)
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ライブに招いたフランスのシャンソン歌手イベット・ジローさんと北野クラブ前で記念撮影する浅木トミコさん(1960年ごろ撮影)

 1957(昭和32)年末に開いたナイトクラブ兼レストラン「北野クラブ」(神戸市中央区)が成功を収めた、シングルマザーの浅木(あさき)トミコ。仕事が多忙を極めたため、息子の幸雄(さちお)(76)は子どもの頃、一日のほとんどを家庭教師と過ごした。

 しかし、月に1、2回、母子そろっての特別な外出があった。子どもながらビロードの服、革靴を身に着け、一流の西洋料理店で食事。神戸にはまだ店が少なく、大阪のホテルまで出掛けた。母は「良いものを見ておきなさい」と幸雄にささやき、食事マナーや振る舞いを厳しく指導した。

 幸雄の妻隆子も「お母さんは真珠なども本当に良い物に巡り合うまでは買わなかった。手に入れると、それは大切に長く使っていた」と振り返る。「本物」にこだわる教えは幸雄が大人になってからも生き、家業を支えることにもなった。

 幸雄は大学卒業直後、「海外を見たい」とフランスに3年近く留学。母は費用をぽんと出してくれた。「パリは邦人が多すぎる」とあえて南東部のリヨンで暮らし、仏語を習得。帰国後は北野クラブに入り、京町筋に新規出店したフレンチレストランを任された。

 しかし、数カ月で気がついた。レストランの主人はランチが終わりディナーが始まるまで暇なのだ。幸雄は欧州との時差を生かし、輸入業参入を思い立った。

 このとき、母の教えが生きた。フランスのファッションブランド「ジャン・パトゥ」と交渉する宴席で、幸雄はフランス人と同じように言葉やナイフ、フォークを操れた。社長に気に入られ、67(同42)年、大手商社を抑えて同クラブが国内総代理店に。同ブランドの香水「JOY」は当時「世界一高価」と名高く、伊丹空港に69年に出した免税店で飛ぶように売れた。トミコは同クラブ内にも同ブランドの服を扱う店を開き、当時、一般的ではなかった「ブティック」と名付けた。

 NHKドラマ「風見鶏」で77(同52)年に北野・異人館ブームが起き、81(同56)年には神戸ポートアイランド博覧会が催されるなど、神戸経済はその後も上り調子。当時、8年間にわたり同クラブ料理長を務めた本多三郎(72)=中央区=は「神戸が変わる時期だった。北野坂は観光客であふれていた」と回想する。

 幸雄が長じてからは母子二人三脚で事業を拡大してきた北野クラブ。家族の絆は創業当時のマークと、幸雄が現在会長を務める貿易会社のマークが物語る。ともに午年(うまどし)のトミコと幸雄にちなみ、馬蹄(ばてい)を二つ重ねた形でスタート。幸雄の長女も同じ干支(えと)で、今は三つをあしらったデザインになっている。(敬称略)

(上杉順子)

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