神戸

  • 印刷
現在の北野クラブ=神戸市中央区北野町1
拡大
現在の北野クラブ=神戸市中央区北野町1
豪華客船の旅を楽しむ浅木トミコさんと夫の上坂ヤスオさん(1989年撮影)
拡大
豪華客船の旅を楽しむ浅木トミコさんと夫の上坂ヤスオさん(1989年撮影)

 戦後、観光地化する前の神戸・北野の坂の上に「大人の社交場」となる高級ナイトクラブ兼レストラン「北野クラブ」を一代で築いた浅木(あさき)トミコ。しかし、NHKドラマ「風見鶏」の放映で異人館街に観光客が押し寄せるようになった1977(昭和52)年とほぼ時を同じくして北野を離れていた。

 人生の転機のきっかけは、「世界の国からこんにちは」がテーマソングだった70(同45)年の大阪万博。1人の男性と出会う。「月の石」が人気を集めたパビリオン・アメリカ館の仕事で来日した日系アメリカ人建築家の上坂(うえさか)ヤスオが、客として同クラブを訪れた。

 その頃、トミコは50代前半。ヤスオは14歳年下だったが、2人は気が合った。ヤスオの方が熱を上げていたようで、息子の幸雄(さちお)(76)はある日突然呼び出され「お母さんと結婚したいんだけど、どうかな?」と問われて驚く。幸雄の妻隆子は「あの頃はよく、ニューヨーク経由で赤い花束が届いたわ」と明かす。

 トミコは当初プロポーズを断っていたが、旅行や仕事で頻繁に訪れる欧米はカップル社会。「余生をエスコートしてもらうのもいいかも」と結婚を決断する。76(同51)年、57歳の時に米ニューヨークの教会で式を挙げ、生活拠点を海外に移した。

 幸雄はその際、「お母さんは私たちに仕事を残してくれた。これまで稼いだお金は今後、自分のために使ってください」と伝えた。その言葉通り、トミコはヤスオの仕事に帯同して欧米や中東を巡り、趣味だった豪華客船の旅を何度も楽しみ、最終的には「暖かい場所がいい」と、米ハワイに家を建てて終生暮らした。

 2001年に82歳で亡くなるまで、年に数回は神戸の北野クラブに顔を出した。幸雄らが助言を求めると、いつも斬新な意見をくれた。ヤスオとの結婚後は、国際感覚にも磨きがかかったという。

 代表的なのは女性向けの「クイーンズランチ」。日本の女性に外で昼食をとる習慣がなかった80年代初めに提案。料理長の本多三郎(72)が形にし、現代につながる「女性同士のランチ」を神戸に浸透させた。「上質なものを提供し、お客さんに誠実に接しなさい」が口癖だった。

 トミコが北野を去った後、好景気に沸いた80年代を経て、90年代初頭にバブル経済が崩壊し、95年には阪神・淡路大震災が発生。神戸の復興と歩を合わせるように、隆子が会長を務めるまちづくり団体などが、異人館周辺のまちおこしに努める。

 現在の北野クラブ。往時のナイトクラブ機能はなくなったが、最近はウエディング事業などに力を入れる。営業形態は変わったが今も、坂の上から「大人の神戸」を発信し続けている。(敬称略)

(上杉順子)

神戸の最新
もっと見る

天気(12月12日)

  • 13℃
  • 8℃
  • 50%

  • 10℃
  • 5℃
  • 60%

  • 13℃
  • 7℃
  • 90%

  • 12℃
  • 8℃
  • 70%

お知らせ