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「体力をつけて、勉強を続けていく」と参考書を片手に話す藤田春満さん=神戸市東灘区
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「体力をつけて、勉強を続けていく」と参考書を片手に話す藤田春満さん=神戸市東灘区

 「一時は自殺まで考えた」。起き上がれないほどの慢性疲労、かすみがかったような頭の中、意識障害、吐き気に腹痛…。小学生の頃から幾重にも襲いかかる原因不明の体調不良に苦しんできた少年が、ようやく病名を突き止め、治療を続けながら、「医者になる」という夢に向かって歩き出した。(鈴木久仁子)

 京都府長岡京市在住で、神戸市東灘区出身の藤田春満さん(18)。病名は「脳脊髄液減少症」。交通事故や転倒、強い衝撃で髄液が漏れるなどで起きる。多くの患者は自分の血液を注射してふたをする「ブラッドパッチ」を施すのが一般的という。

 ところが、藤田さんは、思い当たるような強い衝撃がなかったことと、主症状の頭痛がほとんどない珍しいタイプだったことから、この病気の診断がつかず、長年原因が分からなかった。何人もの医者の診断を受け、「最後の可能性」と、明舞中央病院(兵庫県明石市)脳神経外科での検査で、髄液が漏れていることが分かった。発症からすでに10年が経過し、慢性化していた。

 「一番悔しかったのは大好きな勉強が続けられなかったこと」と藤田さん。起き上がってもすぐに倒れ込み、吐き気で給食も食べられないこともあった。小、中、高校と一度も修学旅行に参加できなかった。それでも、わずかに調子のいい時には本を読み、勉強に励み、中学時代は偏差値90を維持していたという。

 悪化する病状に全日制高校を諦め、通信教育で卒業資格を取ろうとも考えた。しかし、全国有数の進学校・灘高校への憧れは捨て切れず、「記念に」と受験し、見事合格した。

 入学後も、体調は芳しくなく、教室では強い倦怠感から寝てしまうことも少なくなかった。病名が判明したのは高校1年の時。ブラッドパッチによる治療が始まった。

 最初の2回は、免疫系統や自律神経系統に少し改善は見られたが、普通の生活にはほど遠い状態だった。一番望んでいた、霧がかった思考からは解放されずに自暴自棄に陥った。

 「どうせ治らないなら死んだ方がまし」と病院のベッドから窓に走りだしたこともあった。頸椎への3回目のブラッドパッチが功を奏し、「徐々に脳が回復してきた」という。

 今春、灘高を卒業した。受験勉強はかなわず、友人が東大、京大と旅立つ光景はまぶしかった。それでも病と闘いながら懸命に通学した高校生活を「多くの先生や友達に恵まれた」と振り返る。

 現在はリハビリと同級生から譲り受けた参考書を手に、体調と相談しながら過ごす日々。「勉強できる」喜びをかみしめ、いつか大学受験も果たしたいとの思いを強くする。

 最近うれしかったのは、初めて友人と外食ができたこと。これまでは体調が悪くて遊びには出られなかった。「一緒に食べたラーメンは格別」と笑う。医者になることが夢といい、「患者の気持ちの分かる医者になりたい。そして、同じ病気の患者には『決して諦めないで』と伝えたい」。

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