神戸

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栄町通沿いに地銀や大手保険会社が拠点を構える=神戸市中央区
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栄町通沿いに地銀や大手保険会社が拠点を構える=神戸市中央区
生田神社の石玉垣に刻まれた「太陽神戸」と「兵庫」の銀行名=神戸市中央区
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生田神社の石玉垣に刻まれた「太陽神戸」と「兵庫」の銀行名=神戸市中央区
阪神銀行を目印にした接骨院の看板。経営者(78)は「消すのも邪魔くさくて…」=神戸市灘区
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阪神銀行を目印にした接骨院の看板。経営者(78)は「消すのも邪魔くさくて…」=神戸市灘区

 神戸市中央区の元町地区から三宮地区にかけては、かつて銀行の本店や支店が林立し、全国でも有数の金融街だった。平成の初めにバブル経済が崩壊し、銀行の生き残りを懸けた大再編を経て、神戸の「金融地図」は大きく様変わりした。しかし、神戸の都心を歩くと、あちこちに名残がある。(段 貴則)

 大丸神戸店近くにある商業ビルの外壁に、小さな地図が掲げられている。「阪急電鉄三宮駅のりば案内」と題され、三宮から元町にかけての街が描かれている。

 詳しく見ると、銀行を意味する「BK」とともに「兵庫(本店)」「阪神(本店)」「幸福」「協和埼玉」など、かつて存在した行名がずらり。1994(平成6)年に現金約5億4千万円を奪われた「福徳銀行」神戸支店も記されている。誰がいつから掲示しているかは不明という。

 兵庫銀と阪神銀は「太陽神戸銀行」とともに兵庫県を地盤とした。三宮の生田神社には、太陽神戸銀と兵庫銀の名を刻む石玉垣が今も残る。神戸市灘区では、阪神銀の店舗を目印にした接骨院の看板が現役で使われており、3行の名は今も街に息づいている。

 ■小説さながら

 阪神銀と聞いて故山崎豊子さんの小説「華麗なる一族」(73年)を思い出す人もいるだろう。

 主人公は「神戸に本店を置く都市銀行『阪神銀行』の頭取」という設定。実在した阪神銀は都銀ではなく、第二地方銀行。商号を阪神相互銀行から阪神銀に変えたのも、89年のことだ。

 小説では、阪神銀がより大規模な都銀「大同銀行」を吸収し、さらに上位銀行との合併が持ち上がる。

 小説を地で行ったのは、太陽神戸銀。「神戸銀行」が73年に「太陽銀行」と合併。90年には「三井銀行」と合併し、行名も「太陽神戸三井」「さくら」と変わった。2001年に「住友銀行」と合併し、メガバンクの一角を占める「三井住友銀行」が誕生した。

 実在した阪神銀も合併で大きく変貌した。転機は阪神・淡路大震災が発生した95年。第二地銀トップで、県内でしのぎを削ってきた兵庫銀の破綻だった。

 戦後初の銀行破綻を受け、地元財界などが出資した「みどり銀行」が経営を引き継いだ。再び頓挫すると、阪神銀が名乗りを上げた。預金量はみどり銀の半分しかなく「小が大をのむ」構図。99年に吸収合併し「みなと銀行」が誕生した。そのみなと銀も今年、りそなホールディングス傘下に入った。

 ■神戸のウォール街

 大丸神戸店南から西へ抜ける栄町通はかつて、金融機関の一大集積地で「ウォール街」にも例えられた。今も中国銀行や広島銀行、トマト銀行などの店舗が並び、近畿大阪銀の神戸支店も昨年、オープンした。しかし、以前のにぎわいとは比較にならないという。

 「周辺に海運業者が多かったため、金融機関も集まった。神戸銀行の本店もあった」と教えてくれたのは、老舗テーラー「柴田音吉洋服店」の5代目社長柴田音吉さん(68)。しかし中心地は次第に三宮へ移り、さらに阪神・淡路大震災で銀行の店舗は減っていった。

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