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時計2018/10/13 05:30神戸新聞NEXT

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旧制灘中学校の創立当時の全景(灘校提供)
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旧制灘中学校の創立当時の全景(灘校提供)
1927年創立、全国屈指の進学校「灘中学校・灘高校」=東灘区魚崎北町8
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1927年創立、全国屈指の進学校「灘中学校・灘高校」=東灘区魚崎北町8
旧制灘旧学校の設立認可を1面で報じる神戸新聞夕刊
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旧制灘旧学校の設立認可を1面で報じる神戸新聞夕刊

 校門をくぐってすぐ、3階建ての白亜の建物が目に入った。元気のいい掛け声とともに、体を畳にたたきつける音が響く。

 灘中学校・灘高校(神戸市東灘区魚崎北町8)の西館で行われている「柔道の授業」だ。1、2階部分は柔道場、3階が剣道場のフロア。柔道場には校是「精力善用」「自他共栄」と揮毫された額縁が壁に掛けられ、ヘッドガードを付け、白帯の柔道着姿の生徒が練習に励んでいた。

 灘校では体育の授業とは別に、中学1年~高校1年の全生徒が週1時間、正課として柔道の授業を受ける。「創立当初から受け継がれている伝統です」。校長和田孫博(66)の言葉に力が込もる。

 毎年100人前後の東大合格者を輩出する全国屈指の進学校。「文武両道」の進学校は数あれど、独自の柔道場を持ち、全生徒が「マイ柔道着」まで持参して履修する力の入れようはそうそうない。

 服装も、校則も、授業も自由闊達な灘校が、創立当初から守り続ける柔道の教えとは-。

     □

 1927(昭和2)年10月27日付神戸新聞夕刊は「灘中学校設立認可」のニュースを1面で報じている。

 この時期、大阪商人の「ベッドタウン」として急成長した魚崎町(現在の灘中・灘高周辺)。豪商たちは優秀な跡継ぎを育てようと教育に力を注ぐあまり、旧制中学の受験戦争は激化していった。

 「教育熱は今以上に高かった。心身に支障をきたすぐらいに」と和田。そんな現状を憂いた地元住民らが「学校の数が足りない」と新学校設立を訴え始める。

 その実現に向け、白羽の矢が立ったのが、当時東京高等師範学校(現・筑波大学)校長の嘉納治五郎(1860~1938年)だった。

 講道館を開き、近代柔道の始祖として世界的に名をはせる嘉納は、菊正宗酒造を創業した嘉納家の分家筋として、御影村(現・東灘区御影町)で生を受けた。

 故郷からの申し出に飛び付き、早速、親類である菊正宗酒造と白鶴酒造の両嘉納家や櫻正宗の山邑家の援助を取り付ける。地元の魚崎町は土地を無償で提供した。

 自身もアジア初の国際オリンピック委員や貴族院議員などの要職を務め、多忙だったにもかかわらず、何度も神戸に戻り、学校設立に向けて力を貸した。そうして1927(昭和2)年10月24日、旧制灘中学校が創立され、翌28年4月に開校した。

 地域の期待を背負った嘉納とは、どんな人物だったのか。和田は「本職は教育者」と語り始めた。

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 灘中・灘高は、どのようにして生まれ、日本最強の進学校になっていったのか。学び舎の軌跡をたどった。=敬称略=

(村上晃宏)

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