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時計2018/10/14 05:30神戸新聞NEXT

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創立に尽くした嘉納治五郎の銅像=灘中学校・灘高校
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創立に尽くした嘉納治五郎の銅像=灘中学校・灘高校
嘉納治五郎
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嘉納治五郎

 講道館柔道の創始者である嘉納治五郎は、自分の学校を持つ夢を抱いていた。

 「当時、千葉県我孫子市の私有地に、校門から校舎までを想定した並木道を造っていた」と灘中学校・灘高校の学校長和田孫博(66)。「しかし、国際オリンピック委員や貴族院議員などの激務で断念したようだ」と明かす。

 そんな中、舞い込んだ灘校の設立話。嘉納にとって「渡りに船」だった。

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 菊正宗酒造の分家筋として、御影村(神戸市東灘区御影町)で生まれた嘉納。祖父や父は、灘五郷の酒を江戸に運ぶ樽廻船の元締めだった。1870(明治3)年、父とともに上京、漢学や英語を学び、第一高等中学校(現・東京大学文学部)を卒業後、82(同15)年に講道館を設立した。

 「柔道家のイメージが強いが、それ以上に教育者として誠意あふれる人でした」。嘉納に詳しい筑波大教授(スポーツ人類学)の真田久(62)は説明する。

 講道館設立の約3カ月前、同じ敷地に私塾「嘉納塾」を立ち上げ、38年間で約350人の書生が学んだ。学習院教頭や文部省(現・文部科学省)参事官、旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長も歴任、93(同26)年からは通算24年間、東京高等師範学校(現・筑波大学)の校長を務めた。

 熊本時代には英語教師として小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を招へい。留学生受け入れのために開講した「宏文学院」(東京)には、のちに中国の文学革命の旗手となった魯迅も通っていた。

 教育者としての目まぐるしい履歴。勉学以外にも掃除や洗濯など、1日のスケジュールも厳しく、訓話をよく行っていたという。

 嘉納の理想の教育とは。

 「知育、徳育(道徳)、体育の“三育”を融合した教育を目指していた」と真田は言う。「品格や道徳も鍛え、社会に貢献する人間を育てたかったのだろう」

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 熱き教育者にとって、故郷からの学校創設の申し出は、この上なく喜ばしいものだったに違いない。

 講道館柔道で掲げる「精力善用」「自他共栄」の精神が、そのまま灘中・灘高の校是として今に生きる。精力善用とは「自己の持てる力を最大限に活用する」。自他共栄は「他人と協力し譲歩し合い、ともに切磋琢磨して伸びる」との意味だ。

 御影公会堂(東灘区御影石町4)の嘉納治五郎記念コーナーで流れる映像で、嘉納はこの二つの校是について、こんな風に語っている。

 「自他共栄を実現すれば、国際的にも精神的にも物質的にも発達すると同時に他人も同様の発達をする。身体の発達にも、精神の修養にも精力を善用に活用しなければならん。自他共栄は理想、精力善用は指針」

 灘校創立に向け、嘉納が「校長に」と推した人物がいる。当時30代半ばで、京都の女学校の校長を務めていた眞田範衛である。

=敬称略=

(村上晃宏)

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