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「14年もたったとは信じられず、兄に会えないことが今でも悲しい」と話す上田篤史さん=尼崎市潮江4(撮影・山崎 竜)
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「14年もたったとは信じられず、兄に会えないことが今でも悲しい」と話す上田篤史さん=尼崎市潮江4(撮影・山崎 竜)

 尼崎JR脱線事故から14年を迎えた25日、追悼慰霊式が初めて、兵庫県尼崎市久々知3の現場に整備された「祈りの杜(もり)」で営まれた。愛する家族との悲痛な別れを思い、現場での式典に苦悩する遺族もいる。「事故を風化させない」と訴え続ける負傷者もいる。心の傷は、今も癒えることはない。

 3歳上の兄昌毅(まさき)さん=当時(18)=を亡くした上田篤史(あつし)さん(29)=神戸市東灘区=は誕生日の5月1日に結婚を控え、婚約者と共に参列した。穏やかで、仲のいい兄だった。その兄が列車の下敷きになった姿が、現場に立つと今もありありと頭に浮かぶ。

 「助からなかった兄の分まで人の命を救いたい」と、神戸市立医療センター中央市民病院で看護師となったのは7年前。昨年、災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員にもなった。

 DMATを目指していた頃、同僚から6歳下の彼女を紹介された。きょうだいの話題になったとき、兄の話をすんなりと受け止めてくれた。兄のことを人には語れなかった時期もあるだけに、自然な態度に心が安らいだ。

 2月末、彼女から「現場へ行ってみよう」と誘われた。祈りの杜を整備後に訪れたのは初めてだった。「現場がきれいになりすぎた」。複雑な胸の内を明かすと、「そうやね」と理解をしてくれた。2人で手を合わせ、兄に結婚することを報告した。

 慰霊式にも「一緒に行くよ」と言ってくれたことがうれしかった。だが式典では、電車の行き交う音に心をかき乱され、つらくてたまらなくなった。家庭を持つ今後の人生について、兄と話がしたいと胸が詰まり、涙がこぼれた。

 兄にはもう一つ、報告があった。4月から念願の救急病棟に異動した。命を救う最前線に立つことは、看護師になるときから使命だと感じていた。

 「兄ちゃん、見守っててね」。新しい家族と共に、これからの人生に新たな一歩を踏み出す。(田中真治)

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