神戸

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夫恵一さん(左)と常連客とともに写真におさまる河口忍さん(中央)=河口さん提供
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夫恵一さん(左)と常連客とともに写真におさまる河口忍さん(中央)=河口さん提供
夫の遺志を継いで海の家「ローリング・トム」を営んできた河口忍さん=神戸市須磨区若宮町1
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夫の遺志を継いで海の家「ローリング・トム」を営んできた河口忍さん=神戸市須磨区若宮町1

 夏の神戸・須磨海岸で長年愛されてきた海の家「ローリング・トム」が、25日の海水浴期間終了とともに32年の歴史に幕を下ろす。須磨の海を愛してやまなかった亡き夫の遺志を継いで営業を続けてきたおかみの河口忍さん(60)は「大変だったけど、やめると決めるとやっぱり寂しい」と常連客との別れを惜しむ。(吉田敦史)

 河口さんの夫、恵一さんは子どもの頃、親の仕事が忙しく、知人家庭に預けられて夏休みを過ごした。そのときの一番の楽しみが、須磨の海に連れて行ってもらうことだった。学年が上がると1人で海へ出かけ、貸しボート小屋に居着くように。1日手伝うと最後に、ディンギー(ヨット)を使わせてもらえたという。

 大人になり趣味でヨットを楽しんでいた恵一さんは1987年、元町での居酒屋経営をやめ、海の家を始めた。自宅を手放しての一念発起。「ずっと須磨の海への思いがあったんやろうね」と忍さんは推察する。

 経営は楽ではなかった。当初は2人の子どもが幼く手伝えなかった忍さんも駆り出されるようになり、妹夫婦にも助けてもらって切り盛りした。

 ヨット乗りでもあった恵一さんは94年春、1人で沖縄までの航海に出た。それまでの四国一周などと比べてはるかに長い旅。忍さんは「最後になると分かっていたんでしょう」と振り返る。その年の11月、恵一さんはがんで亡くなった。46歳だった。

 四十九日を過ぎて間もなく、阪神・淡路大震災があった。忍さんは混乱の中、漠然と「海の家を続けないと」と考えた。生前に恵一さんが「たとえ建てられんでも、砂地にはするな」と繰り返していたからだ。建設、食材の仕入れ、アルバイトの確保。恵一さんがやってきた全てを引き継ぎ、手探りで経営を続けた。

 毎年、夏以外は食品工場でパート労働をして出店費用を捻出してきた忍さん。「爪の先を削る思いで。意地やね」と笑う。海の家を取り巻く状況の変化や、自身の還暦を機に今夏限りでの引退を決心。「続けてこられたのはお客さんとの触れ合いが底抜けに楽しかったから。惜しんでくれる常連さんが多く、幸せです」と、最後の夏をかみしめる。

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