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松原城跡西側の発掘調査現場=北区道場町日下部(神戸市教委提供)
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松原城跡西側の発掘調査現場=北区道場町日下部(神戸市教委提供)

 戦国時代に織田信長の三田城攻めで織田方の付城となり、羽柴秀吉の軍勢が入ったとされる松原城跡(神戸市北区道場町)について、神戸市教委は31日午後1時半~3時、発掘調査現場を公開する。調査は城跡の西側から進めており、西半分の防御機能などについて、学芸員が解説する。

 「蒲公英城」「道場川原城」とも呼ばれる松原城は、南北朝時代の14世紀後半に赤松氏が三田城の支城として築いたとされ、赤松氏の流れをくむ松原氏が代々城主を務めた。信長の三田城攻めでは、織田方の付城として改変され、補給基地の役割を果たしたと考えられている。

 城跡には、平らに造成した大きな「曲輪」が東西に二つあり、防御のために盛り土した「土塁」、溝状に深く掘った「堀切」などが残る。しかし、この場所は今後宅地開発される予定で、市教委は記録保存を目的に今年3~12月、約8500平方メートルの丘陵全体で、発掘調査を実施。今回はその途中経過を報告する。

 長さ25メートル、幅30メートルある西側の曲輪は、三田城に向かって高い土塁を設けており、内部には溝状に玉石を敷き詰めた場所があることが分かった。東西の曲輪の間には深い堀切があり、街道沿いに兵が駐屯する「武者溜まり」を設けるなど、防御性の高さもうかがえるという。

 滋賀県立大の中井均教授(考古学)は「小規模だが、中世城館全域を調査する例はあまりなく、貴重な資料となる。石敷き遺構は『わび』空間としての茶室の可能性がある」とコメント。奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)は「三田側を意識して、高く広い土塁を防御の要としている。在地領主の城としては規模が大きく、城を造り慣れた織田軍が改修したのだろう」としている。

 城跡は神鉄道場駅すぐ。駐車場はないため、電車などの利用が望ましい。無料。申し込み不要。小雨決行。当日の問い合わせは、松原城跡発掘調査事務所TEL090・9543・2230

(長谷部崇)

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