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宝物庫に展示される「明要寺参詣曼荼羅図」
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宝物庫に展示される「明要寺参詣曼荼羅図」
丹生神社へ向かう表参道にある「丹生山橋」
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丹生神社へ向かう表参道にある「丹生山橋」
丹生山城や明要寺が建立されたことを記す石碑
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丹生山城や明要寺が建立されたことを記す石碑
神社境内にある土俵
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神社境内にある土俵
丹生神社から眼下に広がる北区の住宅街
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丹生神社から眼下に広がる北区の住宅街

 丹生山(神戸市北区)を西の比叡山に見立て、平清盛が明要寺を再興したのは、福原遷都(1180年)とほぼ同時期。当時、絶頂期を迎えていた清盛が、どんな思いでこの地に、この寺を奉ったのか。その後、訪れる平家の終焉を微塵も感じていなかったのだろうか。跡地に立つ石碑を眺めながら、さまざまな想像をめぐらした。(千葉翔大)

 「この上が丹生神社です」。同行してもらった山田民俗文化保存会副会長の新田嘉己さん(73)と坂道を上り切ると、社殿があり、南方向には、北区の住宅街が広がっていた。

 「毎年5月のこどもの日になると、ここで『奉納相撲』が行われています」

 夏草が生え茂っているが、確かに土俵がある。この地域は、江戸時代から相撲が盛んで、昔は地元の青年団が奉納相撲を取っていた。最近は、小学生らに受け継がれる。

 山田郷土誌の中にも、神社の境内などで開く「宮相撲」の記述が残り、勝てば、力自慢の称号を与えられていたようだ。

    □  □

 帰りは自力で下山することに。来た時の「裏参道」ではなく、「表参道」を進むことを選択した。

 「20分程度で下りられると思います」。新田さんはこう言い残し、軽トラックで山頂を後にした。

 地面には落ち葉や木々の枝が転がり、ゴツゴツとした岩肌も見える。前日の雨で表面が湿っていて、少しでも気を抜くと滑ってしまいそうだ。清盛が約100メートル間隔に置いた計25の「丁石」をたどりながらふもとへ。上から4番目の「四丁石」から先は、石の階段が現れる。段差が激しく、最大で40センチ以上あった。ここまで来ると、下山し始めたころの余裕はなくなっていた。額からは大きな汗の粒が滴り落ちた。道は左右に弧を描くように曲がる。途中からは同じ道を何度も通ったような感覚に陥ってしまう。

 弱音を吐きそうになった時、眼下に橋が架かっているのが目に入った。緑のツタが絡まり、かなりの年季だ。左右に取り付けられた柱には、右側に「丹生山橋」、左側には「昭和十六年八月」とある。その隣には「延命地蔵尊」と書かれた石仏が立っていた。この地蔵を目印に、表と裏の参道が分かれている。

 そこに新田さんの軽トラックが止まっていた。「少し掛かったね」と缶コーヒーを手渡してくれた。手元の時計に目をやると出発から30分を過ぎていた。

    □  □

 無事、下山すると、サプライズが待っていた。毎年、こどもの日にしか開かない宝物庫があり、特別に中を見せてもらえるという。

 中は20畳ほどの広さでY字型に区切られ、市指定有形文化財にも選ばれた「明要寺参詣曼荼羅図」が展示される。「平清盛が寄贈した」とも伝えられている。このほか、丹生山を焼き打ちにした羽柴秀吉の関連資料もあった。

 「こんなにも歴史を感じることができるとは…」と感心していると、新田さんは静かに口を開いた。

 「山田の郷は、まだまだこんなもんじゃない」

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